久々に大学院の専門書以外の本を手に取りました。
何故玉置妙憂さんの本を読んでみようかと
思ったかというと…
✓良い子でいることに少し疲れてきた
✓自分の悪い部分にばかり目が行くようになった
✓悪い部分をもっていることに罪悪感を抱いた
✓周りと比べて落ち込む自分に気づいた
などなど…
ここには書けない理由もたくさんあります…
小さい頃から気づいたら弟の母親代わりをしたり、
祖母の看護師代わりをしたり…
「えみちゃんが良い子ならお母さんも天国で
安心するわなぁ。良い子でいなきゃいかんよ。」
という言葉がある意味呪いの言葉となり、
今もなおこの言葉がつきまとって離れません。
良い子でいないと大人から見捨てられる
→さらに良い子でいようと頑張る…
の無限ループを生きた幼少期でした。
玉置さんの本の中でスッと染みた言葉は
【中道をいく】という言葉。
人生という道の真ん中を歩いて行こうという考え方で
バランスが大切であり、太くて真っ直ぐな道を作って
なるべく真ん中を歩いていく(本書より引用)という
意味だそうです。
そして真ん中を歩くためには
左端(悪魔のような自分)と
右端(天使のようなを自分)を知ることが大切で、
両方を知るからこそ、真ん中を歩けるという
考え方が心にスッと馴染みました。
私にも悪魔のような自分と天使のような自分が
混在しています。特に悪魔のような自分では
人間失格だと何度も自己否定に走りました。
自分を大嫌いになり、傷つけたくなったり、
消えてしまいたいと思ったこともありました。
逆に天使のようなを自分もいます。
誰であっても無償の愛で包み込みたいといった
慈悲深さや深い愛情も持ち合わせていると
自負しています。
誰もが悪魔のような自分、天使のようなを自分の
両方をもっている。だからまずは悪魔のような自分も
認めること、そんな自分でも生きていて良いんだと
感じることが大切なのではないかと感じます。
ただ、どんなに天使のような自分がいても、
少しでも悪魔のような自分がいると、良い部分を
かき消してしまう。こんな自分を誰が愛してくれる
だろうか…と自己否定に走る自分にも気づきました。
玉置さんのお言葉をお借りすると、
仏の道の第一歩は、自分をつまびらかに知ること。
自分の深い部分まで内観でき、
悪魔のような自分を認められる…。
そんな人が本来の生きる強さをもっていると
感じます。
自分の悪い部分と向き合うには痛みを伴います。
しかし、その痛みを受け入れ、乗り越える経験こそが
人生における修行のひとつであり、他者に自分の天使
のような一面を御裾分けできる
=人間的な成長の本質ではないかと感じました。
#玉置妙憂さん
#困ったらやめる迷ったら離れる
#看護師僧侶
#高野山真言宗
何故玉置妙憂さんの本を読んでみようかと
思ったかというと…
✓良い子でいることに少し疲れてきた
✓自分の悪い部分にばかり目が行くようになった
✓悪い部分をもっていることに罪悪感を抱いた
✓周りと比べて落ち込む自分に気づいた
などなど…
ここには書けない理由もたくさんあります…
小さい頃から気づいたら弟の母親代わりをしたり、
祖母の看護師代わりをしたり…
「えみちゃんが良い子ならお母さんも天国で
安心するわなぁ。良い子でいなきゃいかんよ。」
という言葉がある意味呪いの言葉となり、
今もなおこの言葉がつきまとって離れません。
良い子でいないと大人から見捨てられる
→さらに良い子でいようと頑張る…
の無限ループを生きた幼少期でした。
玉置さんの本の中でスッと染みた言葉は
【中道をいく】という言葉。
人生という道の真ん中を歩いて行こうという考え方で
バランスが大切であり、太くて真っ直ぐな道を作って
なるべく真ん中を歩いていく(本書より引用)という
意味だそうです。
そして真ん中を歩くためには
左端(悪魔のような自分)と
右端(天使のようなを自分)を知ることが大切で、
両方を知るからこそ、真ん中を歩けるという
考え方が心にスッと馴染みました。
私にも悪魔のような自分と天使のような自分が
混在しています。特に悪魔のような自分では
人間失格だと何度も自己否定に走りました。
自分を大嫌いになり、傷つけたくなったり、
消えてしまいたいと思ったこともありました。
逆に天使のようなを自分もいます。
誰であっても無償の愛で包み込みたいといった
慈悲深さや深い愛情も持ち合わせていると
自負しています。
誰もが悪魔のような自分、天使のようなを自分の
両方をもっている。だからまずは悪魔のような自分も
認めること、そんな自分でも生きていて良いんだと
感じることが大切なのではないかと感じます。
ただ、どんなに天使のような自分がいても、
少しでも悪魔のような自分がいると、良い部分を
かき消してしまう。こんな自分を誰が愛してくれる
だろうか…と自己否定に走る自分にも気づきました。
玉置さんのお言葉をお借りすると、
仏の道の第一歩は、自分をつまびらかに知ること。
自分の深い部分まで内観でき、
悪魔のような自分を認められる…。
そんな人が本来の生きる強さをもっていると
感じます。
自分の悪い部分と向き合うには痛みを伴います。
しかし、その痛みを受け入れ、乗り越える経験こそが
人生における修行のひとつであり、他者に自分の天使
のような一面を御裾分けできる
=人間的な成長の本質ではないかと感じました。
#玉置妙憂さん
#困ったらやめる迷ったら離れる
#看護師僧侶
#高野山真言宗