私はさぞ、馬鹿みたいにぽかんとした顔をして立ち尽くしていたのだろう。



課長が私のデスクの横に座って、作業を始めた。


それをただ見ていた。



課長が2冊目の製本を終えた。



『飲むのか手伝うのかどっちかにして下さい。』



課長が私に話し掛けたのでやっと我に返る。

橘課長は笑いを噛み殺しているようだ。

眼鏡の奥の目だけが笑っている。


『あ…びっくりしたので…』


そうだ。久しぶりに誰かの優しさに触れて驚いていたのだ。            


うれしかった。

ぬるくなったカップのコーヒーと、冷たい缶コーヒーを一気に飲み干すと、私も自分のデスクに戻って作業を再開した。




…後は私自分一人でやりますから…

という言葉が喉まで出かかったが私はそれを言わなかった。

私と課長は無言で作業する。

いつもなら、課長が横にいるとビクビクしながら仕事するのに。
 今夜ばかりは心地いい。

『坂下さん、これ、終わったらラーメン食べに行きませんか』


『えっ』


『嫌いですか』

『いえっそんな…でも』

『何』


課長、家に帰らなくて、いいんですか…も。

もちろん言わない。



『行きますっ』



それから、職場から歩いて3分の山岡家に行った。


札幌駅からも近いので、味は普通だけれど私たち社員には行きつけになっている。

九時を回っていて既にお腹はぺこぺこだ。    


『橘課長でもこんなところで一人でラーメンたべたりするんですか?』


『食べますよ。しょっちゅうね…。』

なんとなく課長とラーメン屋は似合わない。


『私もよく一人でラーメン屋とか吉野家行きますけど…』


『三浦さんとかと行けばいいじゃないですか』


三浦…そういえば、ゆうこは今日は早々に仕事を切り上げて帰っていった。


『三浦さんきっと、服に匂いが着くから来ませんよ』
私は笑った。


『…まあ、外見気にする年ですから』

課長がセブンスターに火を付けながら言った。


私もだけど…と突っ込みを入れたい。


空いていたのでラーメンは五分程で運ばれてきた。      
熱い太麺が、スープと絡んで喉に流れ込んでいく。

おいしい。山岡家のラーメンがこんなにおいしく感じられたのは初めてだ。  

『すっごいうまいです』


『いつも食べているんでしょう』


課長が笑った。     

私達はすぐに食べてしまった。


 課長は食べおわった後少しタバコを吸いながら、仕事の話をした。

橘課長はプライベートでもあくまで課長で、私の上司だ。


『坂下さん、仕事の調子はどうですか』


なんて聞いてくる。

今日は橘課長の話が聞きたかったが、大人の男ほど 自分の話はあまりしないものだ。

若くて傲慢だった渚は、付き合っていた頃、自分のことばかり話していて、私が彼の興味の対象になるのは、セックスの時だけだった。           

こんなふうに自分に質問が投げ掛けられるのは、くすぐったくて困る。    




会計を済ませ、店を出ると、私と課長は別方向だった。


『課長、ほんとごちそうさまでした。あと、今日は有難うございます』


『いいえ。気を付けて』


課長はそれだけ言って、さっさと私に背を向けてしまった。

見送っていると、課長は立ち止まって何かを凝視している様だ。



『課長…?』 



近づいて視線の先を見ると、
渉外課の皆川だ。

渉外課の皆川が誰かの肩に手を回して歩いているのが見えた。        


相手は…後ろ姿しかみえないが、ゆう子ではないことが解る。


            
年上の女だった。