古い想い出。
当時
私(小学校5年生)と
妹(小学校4年生)が
夏休みに入った頃
両親に連れられて
児童相談所に預けられました。
両親から私達に
一切の説明が無く
預けられたので
姉妹で深く傷つき
私達は捨てられたのだな
と解釈しました。
児童相談所に
2、3週間は居たと思います。
その頃には
夏休みも明けていました。
小学校に
行かなくて良いのかな?
とも思っていました。
少し慣れてきた頃に
職員さんから
児童養護施設に
預け入れられる事を
伝えられました。
私達が
とても不安な顔を
見せたようで
職員さんが
気を遣いながら
ここは一時保護の施設だから
ずっとは住めないの。
せっかく慣れてきたのに
不安だよね?
でも決まりだから…
ごめんね。
新しい施設から
小学校にも通えるから
良かったね!
と言ってくれました。
また新しい
知らない所に行かされるんだ。
そして転校するんだ。
本当に不安でしたが
妹と一緒なので
無言で従いました。
児童養護施設では
妹も私も
それぞれに
仲良くしてくれる友達も出来て
小学校にも通えて
幸せでした。
こんな事を言うと
罰当たりだと思いますが
祖父母の家や
実家で過ごすより幸せでした。
自分を尊重してもらえて
毎月お小遣いも貰えて
勉強も教えてもらえて
バランスの良い食事も出来て
尚且つ美味しい!
クリスマスには
サンタさん(園長先生)が
来てくれ
皆でケーキが食べられて
両親とは離れたけど
いつまでも
この幸せな暮らしが
続くものだと思っていました。
何度か
両親が私に面会に訪れました。
ぼちぼち
家に戻ってこいと
言われたと思います。
私は
ほぼ話さなかったですし
帰りたくないと
施設の先生に打ち明けました。
何度か
断っていると
先生から
家に帰りたくない
理由を言いなさい。
と言われました。
私は
今が幸せで家に帰りたくない。
とは言えず
家だと
お小遣いが貰えないから
と言いました。
先生から
本当にそれが理由?
そうやって
お父さんに言っていいのなら
言うけど…
本当にそれが理由でいいのね?
と何度も聞かれて
暗い表情で頷きました。
それで
両親が諦めて来なくなるかな?
と思いましたが
子供がそう言うなら
毎月お小遣いは与える
との事で
家に帰る日が
決定してしまいました。
(両親と施設はそれだけでは無くもっと深いところで話し合っていましたが私達には分かりませんでした)
私は
正直帰るのが嫌でしたが
施設の先生から
本当は
他に理由が
あったのかもしれんけど
家に帰りたく無かったんやろ?
…でもね
両親が健在なら
一緒に住むのが
1番幸せやからね。
ここに住んでみて
あなたより
恵まれてない環境の子ばかり
って知ったでしょう?
あなたは
両親が
迎えに来てくれるんだから
本当に幸せな事なんよ?
と言われました。
そう言われると
頷く事しか
出来ませんでした。
両親が
迎えに来たのは
私が小学校6年生
妹が小学校5年生
に学年が上がる前の春休み。
両親と共に
また知らない土地で
一から
頑張る事になりました。
また転校です。
まぁ
その土地も
夏には
離れる事になるのですが。。。
去年だったか
まだ私達が過ごした
児童養護施設があるのか
調べたら現在もありました。
あの施設があったから
当時の私達は救われたし
安心して生きられたし
大切な事も
たくさん学べました。
養護施設出身の方で
寿司職人に
なった男性がいらして
施設に恩返しがしたい
外食出来ない子供達に
お寿司を食べさせたいと
施設の食堂で
お寿司を握ってくれて
子供達全員に
振舞ってくれた事を
今でも覚えています。
お礼を言って
お寿司を皆で食べながら
園長先生から
児童養護施設出身者で
こういう恩返しを
してくれる人は
滅多にいない。
お前達は
ここで過ごした事を忘れて
大人になって
施設に恩返しなんて
考えもしないやろう?
と言われたのも
記憶しています。
当時の園長先生が
唯一苦手でした笑
時代は流れて
その頃の園長先生と
現在は変わっています。
私は手に職を
つけていないので
出来る事は
限られていますが
自分なりの恩返しを
続けていきたいと思います。
今施設にいる子供達に
少しでも
幸せを感じて欲しいと思います。
人生後半どころか
あと10年が勝負かな?
と思っているので
その間に
やっておきたい事や
やり残した事がないように
生きていこうと思います。