私の親しい友人に、精神的な理由で電車に乗れない人がいます。不自由なく暮らしていける環境に置かれていない彼ですが、とても人の痛みが分かる人で示したいものがある時は必ず行動にし、心を許した人には素直に感情表現をしてくれる可愛らしい人です。
私はその人自体に魅力を感じていたので別の友人に、彼の話を沢山した所、返ってきた反応は
「えっ大丈夫そんな人と関わってて」
でした。
私の話し方に問題があったのかも知れませんが、後者に話した彼の性格的な面は一切イメージに残らずに、前者に話した境遇にポイントを当てられてしまうんです。
普通という言葉を使うのは嫌なのですが
相手にとってこの話は、普通ではない人の話として変換されるんだと個人的には感じました。
またまた別の友人の話です。彼は声が高く喋り方がやや上からに聞こえる方で、人と揉め事になる機会が多いらしいのです。
(確かに理系っぽいよな・・・・・・・・・)
とは思いましたし、人の話をしっかり聞きたいのか質問が多いので癇に障られる性格なのですが、考え方が面白く不器用ながらちゃんとそこを改善しようと【損する人得する人】という本を購入しちゃっていたりするんです。
なんなんでしょうかねこれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!※唐突
人の声やら喋り方で苦手意識を持ってしまうのは分かるのですが、こういった【イメージ】って個人の中で勝手にどんな人か分類分けしているものだと思うんです。
そのイメージは職業であったり、趣味であったり、性別であったり、声や容姿性格などなどです。その人自身を示すものでもありますが、何でもこれはこうだ!と型にはめるのが本当にしょうもない。
このイメージはとても悪質で、その人の中でそれがついてしまったら(特に間接的に抱いている場合)中々変える事が出来ないんです。
本人が実際そう見せている面もありますが、イメージで人柄まで判断されてしまう現象はなんなんでしょうか。産まれた頃から第一印象で嫌われてしまう人と好かれる人が決まってしまっていると分かる場面に出くわすと考えさせられるものがあります。
「ああこの人はこんな声でこんな顔でこんな長所短所があるんだ!」と自分の目で見た上で、自分と合わないのなら適度な距離感で接したり、関係を断てば平和に解決できるものじゃないのかなあ。
まず長所は短所の裏返しなので、よは見方なんですよね。自分にとって相手のそれが短所だと思うなら、恋人や家族でもない場合はスッと距離を置くのがお互い気持ちよく終われる方法だと思うのです。
人の長所だけを見ている人って、ただ短所を長所に変換しているだけだと思うんです。
※相談されていたり、必ずしもそれでトラブルになるならその気持ちを伝えるべきではありますが。
相性が良くないが気に食わないに変わり、敵対して批判する気持ちが私には謎で仕方ありません・・・・・・・
陰口とかも然り。
何かの魔法で、これなくならないですかね
小学6年生の時の担任が教えてくれた
「苦手な人はいてもいいが、嫌いな人は作ったらだめだよ」
の意味が分かった気がします。