こんばんは。
笑実です🌺
今日の話は雑学です。
以前に投稿した”土佐弁による夢のお告げ”。
忘れた頃にふと繋がる事があるから
備忘録として書いたのがこの記事。
その後、夢で見たメッセージ(30文字ほどの文章)は分からなかったものの
1週間ほど前に、この本がクローゼットの奥から突然出てきました。
”えっ、何でこの本がこんな所から出てきたの?!”
見つけた瞬間、過去記事(その151)に関する手がかりがあるのかも??と
少し興奮気味に”土佐弁が何処かに書かれていないか”と
読んでみることにしたのです。
残念ながら何処にも見当たりませんでした。
ただ、参拝した時に『三菱金曜会』と書かれた石柱が気になって
写メに収めたり
岩﨑家の何方かがメッセージをくれたような気がしていたので
家系図も気になっていたら、この本にそこがしっかりと書き込まれていたので
その点がちょっと驚きでした。
大阪市立中央図書館の裏手(西側)にある土佐稲荷神社
あの時、気になって撮った写メ
せっかくなので、雑学として記しておきます。
トップの「世話人会」で決められたことは、「三菱金曜会」で翻されることはないことから
「いわば仮想本社の常務会」と考えれられると記されています。
岩崎弥太郎氏の家系図が紹介されていました。
まさに華麗なる一族です。
弥太郎氏は「自分の必要とする人物は、自分で作るのだ」
と語っていたそうです。
1885年(明治18年)2月7日、胃がんにより享年50歳で死去されています。
今から思えば、若いですね。
次に弥之助氏の家系図です。(弥太郎氏の16歳下の弟さん)
1869年(明治2年)に弥太郎さんを頼って大阪に出てこられたそうですよ。
弟:弥之助氏は、1908年(明治41年)3月25日に享年58歳で死去。
晩年、弥之助氏は一門の長老として子弟を集め
『三菱の事業は一門のために経営するのではない。
国家のために経営しているのであるから、もし営利のみを
考える者があれば三菱をつぶしてもよいのである。
君たちは十分にこのことを承知していて貰いたい』
と訓戒していたそうです。
巷では、三大財閥を「人の三井」「組織の三菱」「結束の住友」というのだそう。
雑学といえば、こんなものも紹介されていました。
現在のスリーダイヤマークは、岩崎家の家紋「三階菱」と
土佐藩主・山内家の家紋「三ツ柏」の組合せに由来するそうです。
それと『三菱鉛筆は三菱グループの企業ではない』って知ってました?
1903年(明治36年)に、眞崎(まさき)鉛筆がスリーダイヤとそっくりの三菱標章
を登録していて、三菱財閥よりも特許庁への出願(1914年)が早かったために
三菱グループが使用差し止めできなかったそうです。
前々から違和感があったのですが、これを読んで納得です。
以上、雑学でした。
土佐稲荷神社へ参拝に行かれる予定がある方の参考になれば幸いです。
では、みなさま素敵な週末をお過ごしくださいませ。
感謝🌺