こんにちは。
笑実です🌺
今日の話は、備忘録として書いています。
何故なら、忘れた頃にふと話が繋がる事がよくあるから。
昨日(9月6日)の早朝に、不思議な夢を見ました。
満点の星、宇宙にいるような不思議な空間を眺めているのです。
同じような光景を、以前にも見たことがあったのです。
あの時の光景だ~
2度目の訪問です。
この星空を眺めていた時のこと。
突然星空の前に、雲で書かれた文字が現れたのです。
30文字程度の文章でした。
えっ!!なんて書かれているの??
早くメモ用紙に書き写さなければ。
慌ててメモ用紙を探すも、何も持っていない為 記憶するしかない状況でした。
凝視して、その文章を読んだのです。
文章を読み終えたところで目が覚めました。
寝起きで頭がボ~としていましたが、文章の最後に
『・・・・・・・ぜよ。』
と締め括られていたのだけは、はっきりと覚えています。
『ぜよ』 って、土佐弁だよね、何故土佐弁のメッセージだったのだろう??
あまりにも唐突で変わった夢だったのですが
昨日はその事に関心を持たずに過ごしたのです。
で、今朝(9月7日)になって急に土佐弁のメッセージの事が脳裏に浮かび その瞬間、気づいたのです!!
そういえば、先月 大阪市立中央図書館に寄った後
土佐稲荷神社に参拝していたのです。
三菱の創始者、岩崎彌太郎は此の地で会社を興した事で知られているが、特に日頃より当社を篤く敬い、繁栄の守護神とした。
【岩﨑家舊邸址】
江戸時代、このあたり一帯は土佐藩邸でしたが、明治になり「三菱」の創業者である岩﨑彌太郎がこれを引き継ぎ、以降岩﨑家の土地として彌太郎もこの一画に居を構えました。
その後土地の一部は大阪市に譲渡され、昭和12年に現在の土佐稲荷神社の東側に大阪市立高等西華女学校の新校舎が完成し、同年同校の保護者会がこの石碑を敷地内に建立しました。
時を経て校舎跡地は集合住宅となり、さらに平成20年に再開発の計画がスタートしたため
平成21年5月、この石碑を土佐稲荷神社の境内に移設しました。
参拝した際、神様にブログで情報発信している事をお伝えしたうえで写メを撮らせてくださいとお断りしていたのです。
あれから2週間が経過して、未だにブログで土佐稲荷神社のことを発信していませんでした。
夢を通じて、岩﨑家の何方かがメッセージを送ってくれたのかもしれませんし
岩﨑彌太郎氏から直々のメッセージだったのかもしれません。
残念ながら、30文字ほどの文章を覚えていないのです。
その事が悔やまれます。
石柱には三菱系企業の名前がずらり並んでいます。
忘れた頃、ふと何か繋がる出来事が起きるような気がします。
その時は、またブログで発信したいと思います。
最後までお読みくださった方、こんな備忘録にお付き合いくださり
ありがとうございました。
感謝✨
今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。🌺