竹崎季長を知ったのは、小学校六年生の時、

社会の授業ででした。

「元寇との戦いで大活躍した武士」

教科書にはこのような感じの説明と一緒に

そのときの戦いを描いた蒙古襲来絵詞の

1ページが載せられていた記憶があります。

教科書にも載ってしまうほどの凄い武士が

自分が住む町のすぐ近くにいたなんて、

当時の私にはかなりの衝撃でした。


季長出生の場所の地名は、今でも変わらず、

「竹崎」なのです。

なんかそれって、よく考えるとすごくないですか?

当たり前のようについている地名。

でもその地名には、深い深い歴史物語が

刻まれていて、何百年もの間、変わらず

使われている・・・

今更ですが、そんなことを感じました。



竹崎季長・・・

「国難来るの知らせに、肥後竹崎より博多湾に
 一番駆けし蒙古軍と激戦、ときに大風を起こり
 蒙古の軍船を直撃して壊滅しました。

 まさに神風と言われました.。

    (季長墳墓公園内案内板より)」 


かっこいい・・ (#^_^#)


でも・・・
 
こんなに懸命に戦って大活躍したのに、

幕府からの恩賞は無く・・・


しかし季長、黙ってはいませんでした。

鎌倉へ自ら出向き直談判!

結果、肥後 海東(現宇城市)の土地が

与えられたそうです。


幕府にたった一人で直談判だなんて、

やっぱり季長はかっこいい(*^_^*)


まさに鎌倉時代のスーパースターです!

しかし季長、800年も前の人ということも

あってか、地元では史跡や銅像もなく、

町自体がなんとなくアピールに欠ける感じで、

季長を祭神として建立された神社も

台風で拝殿が飛ばされて無くなってしまって、

今は鳥居だけが残っているという状態です。


このままで は季長のことが忘れ去られてしまう・・


なんか悲しいな、どうにかして 季長のことを

みんなに知ってもらえたらな・・・


そう考えていたのですが・・・


見つけました!

あったのです!

というか、あるのを私が知らなかっただけでした。




ー竹崎季長墳墓ー

















 
墳墓のある平原公園から見た景色。

きれいです。

空には龍雲・・・

季長に相応しいすばらしい景色です。


近くには明治時代に見つかった季長の墓がありました。


よかった。

本当によかった。


季長さんはやっぱり地元民に愛された、

いや今もずっと愛され続けている、地元が

誇れるスーパー武士です。



ずっと忘れません。

私の心に、地元民の心に、

そして教科書にも・・・


ずっとずっと竹崎季長という名前が

刻まれています。


勇敢なあなたの名前が・・・(#^_^#)