ちょっと前に飛行機に乗ったんだけど、
函館の恵山の上空を通ったよ!
永遠のニシパで武四郎が海に向かって

ピリカー!
ピーリカー!!

って叫んだとこ!!
Googleの航空写真よりもカッコいい…!!(自画自賛)



さてコロナ騒ぎでいろいろとやさぐれてご報告が遅れたのですが、このたび、産業カウンセラー試験に合格しました。
テッテレー!

これが、昨年、嵐が活動休止を発表して数日でやると決めた資格試験です。

休止発表を受けて、これからは彼らそれぞれが自分の足で歩んでいくんだ、と私は受け取ったので、私もそうしたいと思いました。動機は単純です。嵐に依存している自分を自覚したくなかったので。彼らからうけとったもの、こと、てつがくをこの先の自分に刻み込んで「次へ渡す」ことができるようなものに取り組みたいと思いました。

産業カウンセラーは、働く人々や会社が自分たちの力で問題を解決できるようにを支援する役割を持っています。心理学をベースにしていますが、理論に人を当てはめるのではなく、悩みや課題を抱える方の思いを尊重しつつ、一方で働きやすくする環境を整えることも支援しながら、必要であれば激変する社会とうまくやっていく道を探り一緒に進んでいくイメージです。

講座の中で「傾聴」というトレーニングをみっちりやりました。(まだひよっこだけど)

このトレーニングは、多様性を認める姿勢を身につけるのと似ています。

・自分の価値観を「自分の価値観」だと自覚すること。
・それをいったん横に置き、相手と向き合うことが、もっとも相手が相手らしく語れるということ。
・「こうすべき」という考えが、相手を不自由にする可能性があるということ。
・自分が理解した他人の言葉が、その人が言いたかったこととは限らないこと。
・たとえ間違っていたとしても相手を肯定し受け止めることが、信頼関係のスタートであること。

この1年で学んだことが、今までなんとなく感じてきたことの裏付けであったり、オタク活動や人間関係を築き維持していく上でもすごく大事なことだったなと思います。

私は音楽が大好きで、それを作る人達が大好きで、今までと気持ちは大きく変わらないですし、多分これからやることも変わらないと思います。(気まぐれなのも含め…笑)

でも、自分の足で進んでいくために障害になっていること、進むためのきっかけになるようなことが、私の頭の中を少し公開することでもしあるのであれば、休止後もこのブログを続けていく価値はあるのかな、とも思っています。

なんつってな。カッコつけたけど。ただのオタクであることに変わりはない。笑

好きだからって、

「なんでも知ってほしい」と思って、

言葉にしてるわけじゃないんだよなあ。

 

私にとっては好きだから伝えたいものもあれば、

好きだから心の中にしまっておきたいこともある。

文字という形にすることで

細かな部分が伝えきれなかったりするのと

言葉の世界っていろんな認知の仕方に

晒される場でもあるので、

私なりの認知、感じ方まで

他人の手には渡らせたくないというか。

 

ある種の独占欲だと思うけど。

 

でも、誰にも大きな迷惑をかけずに

独占欲を満たす方法は、

好きなものを自分の世界に

とどめておくことだと思う。

いまのところ。私は。

 

もっと言うと

その「好き」というのはさ、

私とどこか似ているところがあって

愛おしく思えることだったりもして

他人を通して自分を認めているというか

そういう側面もある気がして

 

それを不特定多数が見る場所で言葉にすることは

「私」をむき出しにすることでもあり

誰かに感想を抱かせるようなことは

「私」にとっての大切なものを

自ら危険にさらすようなもので

 

なんか

大切なものの中には

誰かに分かってもらう必要なんてないものも

あるんじゃないかなって

思うんだよね

 

だからいまの私は、

いやこれまでもそうだったけど

彼らの「伝えたい」っていうのが大前提、

ベースにあって

それがGOサインであって

私が伝わってほしいと思って書いてるのは

彼らが打ち出している事、表にしたもの・考え方、

それに触れたときの私の頭の中であって

 

それがなければ

感じられなければ

静かに時が来るまで見守る

 

深めておく

 

時が来た時、爆発的に風を送る

他人はどうあれ

それが私のやり方だなぁと思う

自分の手元から離れていってしまうような、なんともいえぬ寂しさ、わかるよ。

私は今回は違うけど、たまたま違う時期に似たことを感じたことがあるし。

だれも口にしないだけで、そういう瞬間ってじつはあるんじゃないかな。

 

 

嵐の曲も、それぞれの人生も、自分の所有物じゃないことくらい分かってる。

そんなアホじゃないわい。


でも。

 

やっぱり長く愛してきたものだし、応援してきたものだし、

嵐が自分自身の手で世界に自分たちを放つことで、

ファンではなかった人が熱を持って語り始めたりして、

急に手元から奪われた感じがしてしまうのは理屈では止められないんだよ。

 

「嵐はファンの所有物じゃない」

 

一見ド正論にも見えるけど。

 

でも、「所有欲」でCDを手に入れてきたじゃない…??

 

だからある程度は、無意識のうちに「所有物」として認識していても、私はおかしくないと思うんだよね。

たぶん問題は「所有物」として考えていたからではなくて、「当たり前だったもの」が急にそうではなくなったことへの戸惑いが処理できないことだと私は思う。

寂しさとかモヤモヤとか言い表しきれない気持ちが、人それぞれの多様な表現で表れてるんじゃないかなって。

だから、私はできるかぎり見守るようにしてる。必要な時に、手助けができるように。

 

わたしねーいろんなひとに言うんだ、

「人間はね、どうやっても変化が得意ではない生き物なんだ」って。

ヒラメもカメレオンも周りの色にすぐ同化できるけど、人間は、いろんな機能があまりにも複雑だから、自分を周囲の変化から保つことで、生命体として生き延びようとしてるんだよって。

 

今の世の中がいくら目まぐるしく変わっていく社会であっても、それはここ数十年の話。

生き物の進化のペースは桁違いで遅い。だから、人間はそれにすぐ順応できるようにはできていないのも当然のこと。

 

だから、変化に順応できない自分を責めなくていいんだよ、と。

 

仕事のペースに追いつくのに必死で、自分の心の主導権が手元からスルスルっと抜け落ちていった人がうつ病とか心の病になっていく。

 

いろんな悩みを聞いてるとさ、「なんのために、それをしてるの?」って聞いたりもするんだよ。

忙しすぎて考える暇ないから、

 

ぽっかーん…ってなるの大抵。

 

逆に言えば、それがちゃんと押さえられていれば、ここで悩んだりしないわけで。

 

 

 

ちなみにわたしの答えは、悩み悩んだ末、単純明快です。

 

「幸せになるため」

 

嘘くさい言葉でしょ?所詮理想じゃないって思うでしょ?

でも生きている以上、それ以外何があるのって感じ。

 

本当は「誰かを幸せにしたい」っていう衝動がすごく強い。

理想は映画の「Pay It Forward」。

他人に善いことをする連鎖で、世界が良い方向に変わっていってほしいのわたしは。

 

でも、このベースがなかったら、誰のことも幸せになんてできないのよ。

これ人類が存在する限り、普遍の定理だと思う。さっきも話した、命ある生き物だから。

 

誰かの言葉に傷つけられたり、空気に耐えられなかったりすることなんて5万とある。

でも、これがあるおかげで、何かに飲み込まれることもなく、何度も方向修正できてる。

 

 


誰が何と言おうと、

 

翔さんが僕たちの言葉を信じて」「ついてきて」と言おうと、

 

自分の心の主導権まで手放して行ってはだめ。

 

たとえ、嵐であっても。

 

 

 

つらいなって思う時、実はいろんな選択肢があるんだよ。

 

・いろんな理屈をつけて合理化する

・違う興味を見つけて自己実現する

・人のせいにする

・まるでなかったことにする

・笑顔やポジティブな言葉で切り抜ける

・論理的に考えたり知識を得て納得させる

・自分の得意なところに目を向ける えとせとら。

 

(まあなるべく他人を傷つけない方法を選んでほしいなとは思うけど、関係性によるよね)

 

ほら、大きな壁の目の前に立ったら、壁の模様以外何も見えないじゃん?

スマホのカメラで接写してもピンボケするばかりで。

後ろだって横にだって行けるはずなのに、その壁に思い入れがあったり社会的評価があったりして解決にこだわりすぎてしまうあまり、視野が狭まってることさえ気づかなくなっちゃう。

 

だから、つらいなって思う時は、「まわりに置いていかれる」っていう気持ちは一旦置いておいて、自分のためだけに、何かをしてみてほしい。

 

非日常でリフレッシュできるひともいれば、いつもやってることをあえて意識して、いつも通りやることで、主導権を取り戻したようなきもちになれるひともいる。(私は皿洗いと洗濯…笑)

 

 


さみしいきもち、心の奥で押し込めていることまで、わたしは否定したくない。

それは、そのひとが生きてきた延長線上にある、大切なものだから。