自分の手元から離れていってしまうような、なんともいえぬ寂しさ、わかるよ。
私は今回は違うけど、たまたま違う時期に似たことを感じたことがあるし。
だれも口にしないだけで、そういう瞬間ってじつはあるんじゃないかな。
嵐の曲も、それぞれの人生も、自分の所有物じゃないことくらい分かってる。
そんなアホじゃないわい。
でも。
やっぱり長く愛してきたものだし、応援してきたものだし、
嵐が自分自身の手で世界に自分たちを放つことで、
ファンではなかった人が熱を持って語り始めたりして、
急に手元から奪われた感じがしてしまうのは理屈では止められないんだよ。
「嵐はファンの所有物じゃない」
一見ド正論にも見えるけど。
でも、「所有欲」でCDを手に入れてきたじゃない…??
だからある程度は、無意識のうちに「所有物」として認識していても、私はおかしくないと思うんだよね。
たぶん問題は「所有物」として考えていたからではなくて、「当たり前だったもの」が急にそうではなくなったことへの戸惑いが処理できないことだと私は思う。
寂しさとかモヤモヤとか言い表しきれない気持ちが、人それぞれの多様な表現で表れてるんじゃないかなって。
だから、私はできるかぎり見守るようにしてる。必要な時に、手助けができるように。
わたしねーいろんなひとに言うんだ、
「人間はね、どうやっても変化が得意ではない生き物なんだ」って。
ヒラメもカメレオンも周りの色にすぐ同化できるけど、人間は、いろんな機能があまりにも複雑だから、自分を周囲の変化から保つことで、生命体として生き延びようとしてるんだよって。
今の世の中がいくら目まぐるしく変わっていく社会であっても、それはここ数十年の話。
生き物の進化のペースは桁違いで遅い。だから、人間はそれにすぐ順応できるようにはできていないのも当然のこと。
だから、変化に順応できない自分を責めなくていいんだよ、と。
仕事のペースに追いつくのに必死で、自分の心の主導権が手元からスルスルっと抜け落ちていった人がうつ病とか心の病になっていく。
いろんな悩みを聞いてるとさ、「なんのために、それをしてるの?」って聞いたりもするんだよ。
忙しすぎて考える暇ないから、
ぽっかーん…ってなるの大抵。
逆に言えば、それがちゃんと押さえられていれば、ここで悩んだりしないわけで。
ちなみにわたしの答えは、悩み悩んだ末、単純明快です。
「幸せになるため」
嘘くさい言葉でしょ?所詮理想じゃないって思うでしょ?
でも生きている以上、それ以外何があるのって感じ。
本当は「誰かを幸せにしたい」っていう衝動がすごく強い。
理想は映画の「Pay It Forward」。
他人に善いことをする連鎖で、世界が良い方向に変わっていってほしいのわたしは。
でも、このベースがなかったら、誰のことも幸せになんてできないのよ。
これ人類が存在する限り、普遍の定理だと思う。さっきも話した、命ある生き物だから。
誰かの言葉に傷つけられたり、空気に耐えられなかったりすることなんて5万とある。
でも、これがあるおかげで、何かに飲み込まれることもなく、何度も方向修正できてる。
誰が何と言おうと、
翔さんが僕たちの言葉を信じて」「ついてきて」と言おうと、
自分の心の主導権まで手放して行ってはだめ。
たとえ、嵐であっても。
つらいなって思う時、実はいろんな選択肢があるんだよ。
・いろんな理屈をつけて合理化する
・違う興味を見つけて自己実現する
・人のせいにする
・まるでなかったことにする
・笑顔やポジティブな言葉で切り抜ける
・論理的に考えたり知識を得て納得させる
・自分の得意なところに目を向ける えとせとら。
(まあなるべく他人を傷つけない方法を選んでほしいなとは思うけど、関係性によるよね)
ほら、大きな壁の目の前に立ったら、壁の模様以外何も見えないじゃん?
スマホのカメラで接写してもピンボケするばかりで。
後ろだって横にだって行けるはずなのに、その壁に思い入れがあったり社会的評価があったりして解決にこだわりすぎてしまうあまり、視野が狭まってることさえ気づかなくなっちゃう。
だから、つらいなって思う時は、「まわりに置いていかれる」っていう気持ちは一旦置いておいて、自分のためだけに、何かをしてみてほしい。
非日常でリフレッシュできるひともいれば、いつもやってることをあえて意識して、いつも通りやることで、主導権を取り戻したようなきもちになれるひともいる。(私は皿洗いと洗濯…笑)
さみしいきもち、心の奥で押し込めていることまで、わたしは否定したくない。
それは、そのひとが生きてきた延長線上にある、大切なものだから。