新しい仕事を始めて1週間。当分は慣れませんが、何とかなる気だけはしています(笑)

 

今日は、言うものか!と思ってずっと触れていなかった、このことをもう少し。

今、FREESTYLEⅡ大阪が開催中ですが、私は、去年の8月22日に東京のFREESTYLEⅡに行きました。その時の様子がこちら→右脳スパーク 2015/8/23の記事

 

ええ、大したこと書いてません。書けませんでした。

 

■前兆

この日の直前まで、私は毎晩22時まで働いてました。表向きには。

仕事が終わらなくて、休日もカフェで仕事をする日々。本当は良くなかったんですけどね。

仕事の効率が悪いわけでもない。明らかに抱えている量が多すぎる。

それを私は「期待されているということ」だと心から信じて疑わず…。

 

ところがおかしいと思い始めたのが、お盆の連休。家族は旅行に行くと出ていって、家に一人。3日間。たぶんほとんど何も食べなかった。ただひたすら、終わっていない仕事の心配をしながらなにもできず、ただ布団の中に潜るのみ。現実から逃げるように。

(この時には、もう限界って思ってたんだね)

 

こんな状態だったので、東京に行くということ自体が、2~3ヵ月ぶりくらいのまともに過ごせる休みだったんです。

 

■8月22日:FREESTYLEⅡ当日~右脳スパークまで

私は2009年からのファンなので、最初のフリスタは本でしか観たことがありません。

「もし次があったら絶対に行く!」と決めていたので、チケット発売の特電の時は名古屋にいたのも関係なしに、栄のローソン前でひたすら電話。チケットが取れたときの手が震えていたのを今でも覚えています。それくらい、彼の作品には不思議と惹かれるものがあって、FREESTYLEⅡへの期待感もとても大きかったのです。

 

ちょっと話は逸れるけど、2014年の秋にNHKでやった嵐のドキュメンタリーは、個人的には結構心に残るものがあった。自担が、ハワイで毎晩泣いている。ライブでも泣いている。いや、ライブで泣くことなんて初めてでもなかったんだけど。彼の言葉には、突き抜けた何かがあるような気がして。彼は逃げたいという思いの中、いったいどうやって突破したのだろう、とずっと気になっていた。

(その経験を、自分の生きるヒントにしたかったんだと気づいたのは、だいぶ後の話)

 

そんなこんなで、当日を迎え。1時間隈なく見て回りました。

なるべく彼の視点に立ちたくて、作品を可能な限り近くから見たり。何歩か下がって、遠くから見たり。パグは、グッズにない方が私は好きでした。グッズの方は少しふてぶてしくて。

ふんどしの子を見つめて、何とも言えない寂しい気持ちになったかと思えば、振り返った先では、金色のさとしレプリカのオブジェの鼻に釣り針がかかってたり(笑)

何の解説もないから、私は感じたままでいるしかないんだけど、やっぱり…人間としての葛藤を感じたんだよなぁ。何に葛藤しているのかは分からないの。もしかしたらそれはもう終わっているかもしれないし。発想として何か突き抜けていることだけは一目瞭然なんだけど、何というか、まだ突き抜けていないところもあるし、それがまた人間臭いところでもあり。

 

まぁそれでも、総じて、そのとき最高に燻っていた私なんかよりは断然突き抜けていた。

 

観終わった後は、ついに観たぞ!という達成感だったんだけど、異常なほど右脳がものすごいスパークしてて、ぜんぜん言葉にできないの。言葉を忘れちゃったような、ぼーっとした不思議な感覚。

 

…だから「右脳スパーク」しか書けなかった。

 

そんで、終わってからあれこれ考えるわけ。

なんか、葛藤してても自由で楽しんでるよなぁーとか。

こういうことに熱中することでバランスをとるって、私もずっとやってたことじゃなかった?とか。

あれ、わたしが豊かに生きるために必要なものはなんだったっけ、とか。

一生懸命考えても、それが具体的に何だったのか、全然思い出せないの。記憶喪失みたいに。

 

自担は葛藤がありつつも、人生で「欠かせないもの」を、奈良さんや草間さんやその他いろんな人に見守ってもらって、奈良さんには「描けなくても描け!」と言われ。なんだかんだしっかり守っている。だから、切り抜けられたのかもしれない。

 

…じゃあ私は?このまま突き抜けられる…?

 

気づいたら、日が暮れていた。

明日から仕事。でも、頭が回らない。

ただ息をして、そこに座っているだけ。

 

すぐに答えなど出るはずがなかった。

切り替えて前を向く燃料さえも、とうに切れていたし、アクセルを踏む力すら残っていない。

うーん、いや、アクセルがどこにあるかも分からなくなっていたのかも。

あれ、わたし壊れたって思った。

これは相当ショックだった。

何かがはじけちゃった感じってこういうことかと、後になって分かった。

 

この時にはもう、ほとんど物事の判断能力もなくて。

お盆前からずっと左の下腹部に痛みがあって、生理も3か月以上止まってたのに、病院に行くとか、そういうことも自分で決められなかった。

 

ただひたすらずっと、涙が出続ける。

この時、原因の分からない涙は枯れないこともあるんだと知った。

 

どうしたいの?って聞かれても、いつもなら「こうしたい!」って言えるのに、その時は何も判断できず、「分からない」を繰り返すばかり。

 

こうして私は、フリスタⅡ東京をきっかけに、自分の誕生日の8月24日から12月末まで、休職をせざるを得なくなったのでした…。

 

 

■9月:右脳スパーク後、検査など

…最初は悲しかったな。

こんな小市民のことなんて本人のお耳に入ることなどないだろうけど、楽しんでもらいたいと思って開いた展示会をきっかけに、ファンが休職することになったなんざ、風の噂でも伝わって欲しくなかった。もちろん、私も休職することになったこと自体、1か月以上それを認めることができなかった、というのもある。

 

結局、自分で行くとか行かないとかも決められないので、半ば強制的に婦人科と消化器内科へ。左下腹部の痛みで考えられることを総合医に見てもらい、全部調べることになった。

 

こういう状態になっても私はまだ事の重大さを分かっていなかった。仕事が止まることの方がよっぽど重大で、同時に3つのプロジェクトを抱えるっていう今考えるとあり得ない状況でありながら、会社に迷惑を掛けてしまう申し訳なさと、親に心配を掛けたくないという思いばかりが、頭の中でぐるぐる渦巻いていた。とても働ける状態ではないし、働いたところでより迷惑をかけるであろうに。「自分を労わる」という発想など、こんなことになっても1ミジンコも存在しなかった。(今思えば、自分を大切にする癖すらなかったということ)

 

検査結果は、すべて異常なし。

最後の選択肢として、心療内科に行くことになった。

 

原因はもうご覧の通りで、まずは仕事から離れて休養して様子を見ましょう、ということになった。睡眠障害まで行っているわけではなかったものの、仕事に関係する場所に近づくと、息が上がって油断すると過呼吸を起こしそうな感じになる事も後で分かった。それでも、薬を処方するよりもまずは休養、とお医者さんは言ってくれた。

 

仕事のことを考えながら、迷惑をかけた人のことを考えながら、休むことほどつらいことはなかった。そこで、撮りためたテレビ番組や、韓国版の「魔王」を観たりと、なるべく意識を仕事から離すようにした。

 

またなんでよりによって韓国版の「魔王」全20話を観たかって話。

これを逃したら一生観れない気がしただけで(笑)他に何を考えたつもりもなかったんだけど、結局、自分が抱える、法律でも他人でも決して裁けない「罪の意識」(※1)を背負いながら、直人(カン・オス)のように、それに報いようと生きる方がまだ光はあるよな、と思い至って、それなりに楽になった。

※1…罪って言っても仕事を投げ出すような形になってしまった程度で、後からこりゃ大げさだなと気づくんだけど、この時は本気でそう思った(笑)

■10月:2か月後

 こんな調子だったので(?)Japonismツアーは、落選。まーちょっと今はタイミングではないなと思っていたので、そんなに落ち込まなかったのが率直な感想。

 それでも、そうこうしているうちに、調子が上向いてきたのは、10月中旬くらいの話。

 自担界隈ではいろんなことがあったけど、彼は外野の意見などスルーして自分の「大切なもの」をひたすら守って発展させてきたことを十分知っているつもりだったので、ぶっちゃけ、私にとっての真実なんてとっくにハッキリしてるから、さっさと収まれコノヤロウと思っていた。その件では一切病むことがなかったことだけは、ここではっきりさせておく。

 

 この頃には、だいぶやってた仕事の強迫観念みたいなものは薄れて、自分のやりたかったことを自分の意志でやれるようになっていたと思う。ブログもTwitterもよく書くようになったし、カラオケに行って歌うことも、友達に今の状況を話すこともした。

 

ため込んでいたなにかを吐き出すかのようで、こういうのは、とても良い方法だった。

 

◎思いついたこと、自分の考えを文字や形にすること

◎音楽(特に歌うこと)-NO SING, NO LIFE.

◎大切な人をちゃんと大切にすること(友人、仲間、家族)

 

■11月:3か月後

 Japonismが発売になっても、デジの方がいいとか言って一人腑に落ちない厄介な感じを出しつつ(笑)それだけ生意気を言うようになったので、お医者さんも、ちゃんと時間かければ大丈夫、と言ってくれたのは大きな救いだった。

 

 なんか、もうそんなに追い込まなくてもいいのかな、私の場合はあまりしがみつかずに、自分がやってみたいことに目を向けた方がいいのかな、と思えるようになってきて、少し力も湧いてきた。


 11月4日。会社で仲良くしていたパートさんとご飯を食べに行って、近況を聞くことができた。なんだかんだ仕事は回っていて、可愛がっていた普段からため息の多い後輩くんは相変わらず溜息が多いけど前よりも頑張っているとのこと。そして、私の後任の人が入ることになった、というのもそこで知った。

 なんか、それを聞いてほっとしたんだよなぁ。

 あ、これで、私が心配する必要はなくなったかなって。

 私のしていた仕事はネット関係の専門性が必要だったので、それなりの実務経験がないと仕事にならない。ぶっちゃけ、こんな田舎でそういう人材はそう簡単には見つからないし、そもそも、実際私がプロジェクトを3つも抱えることになったのは、そういう人材がどうにもこうにも見つからなかったから。

 

見つからない時は見つからない。見つかる時は見つかる。

 

11月8日。Japonism札幌の制作開放席の案内メールが届く。

これにはちょっと震えた(いちいち震えすぎ)。ちょっと光が見えてきたときだったから。

制作開放席ってどういうものか知らなくて、調べたら普段よりも高確率で当たるとのこと。

トレンドハピネスさんのデータを拝借して、ドンピシャ当選。

【追記あり】札幌Japonism、制作開放席に当選した顛末。2015/11/9の記事

 

なんか、ここから、鉄腕アトムみたいな勢いで一気に上向き始めました。

 

■12月:4か月後

 休職期間が間もなく満了するということで、そろそろ復職か、休職継続か、退職かを決めなくてはいけない時期に。もう、11月の時点でなんとなく、同じ会社にこだわる必要はないな、と思ったのと、不思議と転職に対する不安もなく、この先パートだろうが派遣だろうが正社員だろうが、はたまた起業しようが、自分がやれる、やる意味があると思うことならそれでいい、なんなら今の会社は私を潰してもったいないことをしたな、はっはっは!!と思うくらい、割とイケイケ(笑)な気持ちに。3ヵ月前と比べると同じ人とは思えんレベル。

 この頃には、厚切りジェイソンやちきりんさんのTwitterが結構、参考になってたな。

 

■3月:7か月後

 お医者さんからも、残業が多い仕事でなければ、就職活動してもいいよというお墨付きをもらえるようになって、本当に早く気づけて良かったね、と言ってもらえた。2月くらいから就活開始。この頃にはもう本当に普通。むしろいろいろ憑き物がとれてスッキリしてる感…(笑)

 そういうときに、前職の経験が生かせる求人が舞い込んでくるとな。なんか、運気とか科学的にはよく分かんないけど、さすがに今回は、心持ち次第で人生って変わることがあるのかもな、と感じるくらいの展開を経験しました。

 

TwitterのTLもフリスタ熱がじりじりきてて、フリスタの2冊をもう一回開いた。

 「好きなものを極めたいだけ」と語ったフリスタⅠ。

 「そんなに追い込まずに、自由に、いま、何ができるのか?」→これだ!というフリスタⅡ。

ⅠⅡ一貫して、「何かを始めようと一人思ってくれればそれでいい」と思っている。

なんか…あれ、私フリスタⅡ東京でいろいろ喪失したと思ってたけど、これって私が気付いてなかっただけで全ての始まりだったんじゃ………

 

3月3日。フリスタⅡ大阪初日。

新作を観たみんなの感想がTLで流れてくる。

半年前にあんなことがあっても、彼は新作をいくつも作っていた。

惑わされていたのはこちらだけで、彼は何もぶれていなかったことが伝わってくる。

それを感じる人が数人いただけで、なんかもう私は十分だった。

 

そして、そんな最中に、採用のお知らせ。

 

また震える(何度目)

 

こんなことあるかな。フリスタⅡ東京から始まったことなんだよ。

それが大阪初日に自担の前進を確認できて、しかも、自分も新しい一歩を踏み出すことが決まったとか、そんなことあるかな。
勝手だけど、あぁ私もこの人と同じ時を歩んでいるんだなって思うと、とてもこみ上げるものがあって、感慨深かった。

 

フリスタⅡ東京は、私にブレーキを掛けたんじゃなかった。

ダメになってしまう前に「目を覚ませ」って教えてくれたんだ。

 

 フリスタに行ってなかったら私今でも這いつくばって仕事してたと思うな。これまでも這いつくばってやってたんだから。結果、突然休職することになってしまったけど、フリスタⅡがあったおかげで、私は幸いにして「うつ病」と診断されることもなく、早い段階で自分との付き合い方や今後どうしていきたいかなど、落ち着いて整理する時間を持てました。

 

30代っていうのは、いろいろありますな。

でも、全てにはちゃんと意味があるんだね。 Everything happens for a reason.

とても、辛く、葛藤の多い、でも光が見えてきそうな、良い経験をしました。

 

さとしくんの「何かを始めようと思ってくれればそれでいい」に倣って、

私も、この経験を読んで誰か一人でも前を向けることがあったらそれでいいと思い、ワタクシゴトではありますが、ここに書き残す事にします。

 

これからは、人生変わってよかった、と思える生き方を。