ハワイライブを観て、なんというか、彼らは、この経験を踏んでの「THE DIGITALIAN」ツアーだったのだなと、改めて。あの、力の入り様というか、熱というかね。感じたものがあったのは、間違いではなかったかなという感想。
本当にずっと踊っていたね。あれ、こんな振り付けだったっけかと思うものも。
いやいやできるじゃないですか嵐さん!ツアーでも踊り続けてよ!
っていうツッコミもありつつね。笑 いいライブ映像だった。
ちょっとTimeみたいな、彼らを包む大きな何かも感じつつ。
久々にいろんな方のブログを読んでいると、あれ、そんなことになっちゃってるの、
と思うところあり、いろいろ考えることがあったので、久しぶりにがっつり書いてみようと思いました。
まずは、私のことから。嵐を好きになったときから変わりつつある、自分と嵐との関係性・ちょうどいい距離感について。
それから、ちょっと気になった「伝え方」のことまで触れたいと思います。
さて、私にとって、嵐とは。
「アイドル」の言葉の意味を調べると、
1.偶像
2.崇拝される人や物
3.あこがれの的。熱狂的なファンをもつ人。
と出てきました。
はっきり言って、私にとって嵐は「アイドル」ではないな。
偶像でもないし、崇拝しているわけでもない。
6年ファンをやっていれば、良くないと思うところも知ってるし、あれ?って思うこともある。
でも、それは、自分が親友や友人に対して思ったり言ったりするレベルとさほど変わらなくて、根底に相手の生き方や仕事に対して尊敬の念があるからこその話。大野さんの卓越した才能、翔くんの切り開いた道、相葉さんのバラエティ力、ニノの演技力とツッコミ力、Jのエンターテイメントに対するストイックさは、真似できることではないし、そういう人を知っていることを誇りに思うし、周りのミュージシャンや作家、コレオグラファー、舞台スタッフなどなど、そういう人たちの存在を知ることができてよかった、と感謝することの方が圧倒的に多い。
誰に対しても、完璧に好きだということなどほとんどない。
あると言ったら、それはうわべに過ぎない、と思う。
ファンであれば、もっと、もっと彼らのことを知りたくて、雑誌を買ったり、テレビを欠かさずチェックしたりするのは普通のこと。このブログを見れば一目瞭然で、私も最初はそうだった。
だけど、どこかで、嵐自体が自分の土台になっていた日々から、彼らを応援しつつも、じゃあ私はどう生きていくの?とか今の生活という、自分の人生の土台があっての、いろんな木があって、そのうちの一つが、根をしっかり張った「嵐」の木。という感じ。
年を重ねるごとに、位置づけが変わってきたと思う。
その関係性や距離感はまるで、「遠く離れた親友」のような。
会っていない時には、それぞれがそれぞれの環境の中で生活していて、細かいことを知らなかったり、気にしなかったりする。でも、久しぶりに会うと、その間がなかったかのような、いつも通りの信頼感や空気が生まれる、不思議な関係。
彼らの活動を見るときには、ほとんど、「おお、頑張ってるじゃん」という想いを抱いて見ているし、何か間違ってたり失敗したとしても、笑って「次頑張ればいいね」くらいにしか思わない。それぞれ何かしらの考えをもっていろいろとやっていることに尊敬の念を抱いているので、いちいち良かった悪かったあーだこーだ言おうとも思わない。
関係性や距離感は、時と共に形を変えていくもの。
それでも、「嵐」自体は成長すれど、根本的には変わっていない。
「時が経っても変わらないヤツら」だから、好きでいる気持ちが心の奥に深く、今、すっぽりとはまっているのだと思う。変わらないでいるという信頼感があるので、数週間嵐の番組を見ていなくても、全く苦には思わなくなった。
だから、彼らの活動や作品に対して、私は「お客様」だという意識を持っていない。
だから、発売したライブ映像に対して、早速不満を爆発させる発想がない。
私は、「嵐に良くなってもらいたいから」という理由で、ネット上にその「不満」を書くというのは筋が通っていないとかねがね思っています。そんな理由は建前だけで、本当は自分の意見を主張して賛同を得て優越感に浸りたいだけだ、と。本当は分かりませんけどね。伝わったままをいうと、そう感じることが多いです。
嵐はファン全体に感謝しているのであって、一個人に信頼を置いているわけではないと思います。信頼を置いていない一個人にとやかく言われたところで、腑に落ちないであろうことは、相手の立場に立てば容易に想像ができるはず。
「批判」をすれば、その内容自体は相手に到達するかもしれない。
だけど、相手の心に伝わるかは全く別の話。
人の意識に働きかける「批判」は、目的やこうあるべきという考え方がしっかりしていれば、賛同者が生まれて、相手にも伝わるようになり、大きな力になる。
「ともに歩んでいきましょう」というリーダーの言葉が、彼らにとっての羅針盤。
嵐に良くなってもらいたいという気持ちが本当にあってのことなら、手段を大事にしたらどうかな。
自己顕示欲のために書いている人・それに気付かず賛同する人は、それ以上でもそれ以下でもない。言論表現の自由が危ぶまれている時代に貴重な存在です、どうぞご自由に。私は静かにその場から去ります、目的が違うので。自分の考えは、自分のブログで書きます。
読むなら、「こういう風に見えるよ」「こうしたらもっと良くなるよ」という書き方のブログが見たいな。相手に対して思いやりがあるのとないのとでは、伝わり方がきっと違うと思う。
100%褒められるなんて、それも気持ち悪い。私も何か思った時には、塵程度かとは思いますが、嵐が続いてほしいと思う人たちが、気持ちよく受け取れて、賛同できて、さらに上昇気流を生むことができるように、メッセージを発信したいなと思います。
もちろん、全ての人がこうすべきとは微塵も思いません。
いろんな人がいる中で、私はこうありたい、という立場表明です。以上。
というわけで、秘めたる熱は相変わらずありますよってことです。笑
本当にずっと踊っていたね。あれ、こんな振り付けだったっけかと思うものも。
いやいやできるじゃないですか嵐さん!ツアーでも踊り続けてよ!
っていうツッコミもありつつね。笑 いいライブ映像だった。
ちょっとTimeみたいな、彼らを包む大きな何かも感じつつ。
久々にいろんな方のブログを読んでいると、あれ、そんなことになっちゃってるの、
と思うところあり、いろいろ考えることがあったので、久しぶりにがっつり書いてみようと思いました。
まずは、私のことから。嵐を好きになったときから変わりつつある、自分と嵐との関係性・ちょうどいい距離感について。
それから、ちょっと気になった「伝え方」のことまで触れたいと思います。
さて、私にとって、嵐とは。
「アイドル」の言葉の意味を調べると、
1.偶像
2.崇拝される人や物
3.あこがれの的。熱狂的なファンをもつ人。
と出てきました。
はっきり言って、私にとって嵐は「アイドル」ではないな。
偶像でもないし、崇拝しているわけでもない。
6年ファンをやっていれば、良くないと思うところも知ってるし、あれ?って思うこともある。
でも、それは、自分が親友や友人に対して思ったり言ったりするレベルとさほど変わらなくて、根底に相手の生き方や仕事に対して尊敬の念があるからこその話。大野さんの卓越した才能、翔くんの切り開いた道、相葉さんのバラエティ力、ニノの演技力とツッコミ力、Jのエンターテイメントに対するストイックさは、真似できることではないし、そういう人を知っていることを誇りに思うし、周りのミュージシャンや作家、コレオグラファー、舞台スタッフなどなど、そういう人たちの存在を知ることができてよかった、と感謝することの方が圧倒的に多い。
誰に対しても、完璧に好きだということなどほとんどない。
あると言ったら、それはうわべに過ぎない、と思う。
ファンであれば、もっと、もっと彼らのことを知りたくて、雑誌を買ったり、テレビを欠かさずチェックしたりするのは普通のこと。このブログを見れば一目瞭然で、私も最初はそうだった。
だけど、どこかで、嵐自体が自分の土台になっていた日々から、彼らを応援しつつも、じゃあ私はどう生きていくの?とか今の生活という、自分の人生の土台があっての、いろんな木があって、そのうちの一つが、根をしっかり張った「嵐」の木。という感じ。
年を重ねるごとに、位置づけが変わってきたと思う。
その関係性や距離感はまるで、「遠く離れた親友」のような。
会っていない時には、それぞれがそれぞれの環境の中で生活していて、細かいことを知らなかったり、気にしなかったりする。でも、久しぶりに会うと、その間がなかったかのような、いつも通りの信頼感や空気が生まれる、不思議な関係。
彼らの活動を見るときには、ほとんど、「おお、頑張ってるじゃん」という想いを抱いて見ているし、何か間違ってたり失敗したとしても、笑って「次頑張ればいいね」くらいにしか思わない。それぞれ何かしらの考えをもっていろいろとやっていることに尊敬の念を抱いているので、いちいち良かった悪かったあーだこーだ言おうとも思わない。
関係性や距離感は、時と共に形を変えていくもの。
それでも、「嵐」自体は成長すれど、根本的には変わっていない。
「時が経っても変わらないヤツら」だから、好きでいる気持ちが心の奥に深く、今、すっぽりとはまっているのだと思う。変わらないでいるという信頼感があるので、数週間嵐の番組を見ていなくても、全く苦には思わなくなった。
だから、彼らの活動や作品に対して、私は「お客様」だという意識を持っていない。
だから、発売したライブ映像に対して、早速不満を爆発させる発想がない。
私は、「嵐に良くなってもらいたいから」という理由で、ネット上にその「不満」を書くというのは筋が通っていないとかねがね思っています。そんな理由は建前だけで、本当は自分の意見を主張して賛同を得て優越感に浸りたいだけだ、と。本当は分かりませんけどね。伝わったままをいうと、そう感じることが多いです。
嵐はファン全体に感謝しているのであって、一個人に信頼を置いているわけではないと思います。信頼を置いていない一個人にとやかく言われたところで、腑に落ちないであろうことは、相手の立場に立てば容易に想像ができるはず。
「批判」をすれば、その内容自体は相手に到達するかもしれない。
だけど、相手の心に伝わるかは全く別の話。
人の意識に働きかける「批判」は、目的やこうあるべきという考え方がしっかりしていれば、賛同者が生まれて、相手にも伝わるようになり、大きな力になる。
「ともに歩んでいきましょう」というリーダーの言葉が、彼らにとっての羅針盤。
嵐に良くなってもらいたいという気持ちが本当にあってのことなら、手段を大事にしたらどうかな。
自己顕示欲のために書いている人・それに気付かず賛同する人は、それ以上でもそれ以下でもない。言論表現の自由が危ぶまれている時代に貴重な存在です、どうぞご自由に。私は静かにその場から去ります、目的が違うので。自分の考えは、自分のブログで書きます。
読むなら、「こういう風に見えるよ」「こうしたらもっと良くなるよ」という書き方のブログが見たいな。相手に対して思いやりがあるのとないのとでは、伝わり方がきっと違うと思う。
100%褒められるなんて、それも気持ち悪い。私も何か思った時には、塵程度かとは思いますが、嵐が続いてほしいと思う人たちが、気持ちよく受け取れて、賛同できて、さらに上昇気流を生むことができるように、メッセージを発信したいなと思います。
もちろん、全ての人がこうすべきとは微塵も思いません。
いろんな人がいる中で、私はこうありたい、という立場表明です。以上。
というわけで、秘めたる熱は相変わらずありますよってことです。笑