フローリングの傷をみて
思い出す
いつか話せるようになる
いつか食べるようになる
いつかトイレにいけるようになる
いつかかんしゃくおこさず、気持ちを伝えられるようになる
その「いつか」っていつくるのだろう?
その日が待ち遠しいけど、日々暮らしていると本当にそんな日がくるのだろうかと
途方にくれていたあの日
8年ぐらい前、プラレールの電池を替えろと泣き叫んでいた長男。
また、めんどくさいことにプラレールはドライバーを使って電池交換をしなければいけないから、大人でないと難しい行為だ。
ようやく電池を替えたはいいけど、接触不良なのかプラレールが動かない。
なんどかやり直したけど上手くいかなくて、
その横でギャーコラギャーコラ泣くから、
「もう!うるさーい!!!」
と、渾身の力でドライバーをフローリングに投げつけた。
ある日、我が家に訪れた義母に
「あぁ〜、これえみちゃんがやったやつぅ?」
と、面白がられてフローリングの傷を指摘され、なんとも言えない
責められているような、惨めなような
ドス黒い気持ちが渦巻いていたあの日
人生のどん底にいたかのように、あの時は子育てに悩んでいたけど、
今はもうそのフローリングの傷をみても
「そんなこともあったなぁー」
と、客観的に見れるのだ。なんなら笑えてくる。
わけわかめだった長男は、今や兄弟の誰よりも優しくて、気遣いができて、素敵な男の子になっている。
そう、「いつか」はいつのまにか訪れていた。
明けない夜はない
けど、その夜長すぎへん?
夜明けを待っているその最中って、どうあがいても解決するわけではなくて、苦しいですよね。
私もそうでした。
そんな時に始めたのがブログでした。
誰に宛てるわけでもなく、ただただ自分の想いをブログに吐き出す。
それだけで気持ちが楽になりました。
だけど、1人で抱え込むのは限界があるので、信頼できる人に話していきました。
話すことは、手放せることにも繋がると思うので
今にフォーカス
![](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/limited003_heading_line.png)
現代、色々我慢の世の中だけど
もう我慢しすぎたってほど我慢し過ぎているけど
やっぱり「いつか」は訪れるはずなので
手放せるものは手放して
今にフォーカスして過ごすのみ、ですね!