「朝、顔を洗って読経する。そこからわしの一日がはじまる。精
いっぱい努力をするが、凡夫のかなしさ、失敗することも度々だ。
いや、、失敗することのほうが多い。そんな時、わしは仏前に座っ
ているつもりで心を鎮める。また、夕方、帰宅して、仏前に額ずき、
その日のことを反省し、これで、とにかく一日のしめくくりをつけ
る。なぜ、毎日が不安でしようがないからだ。
わしはお経をあげることによって不安が沈静するのだ。」
 土光の口からこれを聞いた時には率直にいって意外な思いがした。
石坂泰三の正統後継者として経団連会長となり、政治権力だろうと、
暴力だろうと、正しいと信じたことに対しては、一歩も退かず、政
治家をしかりつけたりどやしつけるくらいのことは日常茶飯事とな
っている土光にして、この言ありかと、一時、耳を疑ったほどだ。
 しかし、考えてみれば、筆者にもこんなエピソードがある。
 
 親鸞の「歎異抄」の第九章に「わが心が善くて人を殺さぬという
わけではないぞ。宿業が催せば、人を殺すまいと思っても殺すこと
になるかもしれない」と書いてあるのを見て、こんなインチキな宗
教書がた大手をふって、まかり通っていたんではこの世も終りだと
思った。
 ところが、ひるがえって、よくよく考えてみたら、他人事として
これを受けとっていたのである。「歎異抄」に書かれてあるのは、
ほかならぬ自分自身のことなのだ。
 そんなことから、もう一度「歎異抄」を読み返してみようと思っ
ていた矢さき、札幌の雪まつりに全日空機が墜落、全員死亡の悲劇
となったが、その時一枚の航空券をめぐって三人の命が微妙に絡み
あった。リタ・ルーイ夫人は飛び立つ前ヘヤ―セットにいった。と
ころうがその日は火曜で、美容院は定休。仕方がないのでデパート
の美容院へいったが、ここも満員。いらいらして待っているうちに
旅へ出るのが嫌になり、家に帰ってしまった。