お母さん


「それともうひとつ、あたしがいちばん怖いと思うことは、そのとき、智子が自分で自分を責めてしまうってこと。たとえばたまたま智子が留守のときにあたしが死んだとする。すると智子は、あのときあたしが出かけてさえいなければおばあちゃんは死ななかったかもしれないなんて思っちゃう。これは困るよ。そんなことは絶対にないんだからね。人の生き死にはね、智子、運命以外の何物でもないんだ。あんたは小さいとき、お父さんとお母さんをあんな辛い形で亡くして、そのことはよおくわかってるだろう。普通の娘さんより、よおくわかってるだろう。だけどここでもういっぺん言っておくからね。運命には逆らえないよ、智子」
 運命という言葉を、祖母は、一語一語くぎってはっきりと発音した。う?ん?め?い。
「あたしとあんたはふたりで生きてきた。いつだってふたりで頑張ってきたじゃないか。だから、よく見えておいておくれね。どこでどういう形で死のうと、そのときあたしの頭のなかにあるのは、ああ智子と暮らして楽しかったな、ひとりになっても智子は頑張って幸せになってくれるだろうな、別れるのは寂しいけど、きっと智子は大丈夫だろうなってことだけだよ。それ以外のどんなこともありゃしない。信じておくれね──」
 あのときの祖母の言葉を、現実となった祖母の葬儀のあいだに、祖母の遺影を見あげながら、智子は何度となく心のなかで繰り返した。おばあちゃんは、あたしか自分で自分を責めることを喜びはしない。おばあちゃんは、あたしがあのときの言葉を信じることを願ってる──そうやって、祖母の死からひと月ぐらいのあいだの、いちばん辛い時期を切り抜けた。
 だが、トンネルを抜けたあとには、興《きょう》醒《ざ》めするくらい現実的な難関が待ち受けていた。相続税である。
 祖母とふたりで暮らしてきた、築二十五年の木造の二階家と、二十坪ほどの敷地。若干の銀行預金と簡易保険の死亡保険金が五百万円。智子のもとにはそれだけの財産が残された。親戚にはいろいろとうるさいことを言ってくる者もいたが、智子は迷わず、区役所の相談窓口を訪ね、そこで税理士を紹介してもらった。
 その税理士は佐々木《ささき》といい、智子の亡父と同じくらいの年齢で、鼻の下に、よく手入れされたチョビ髭《ひげ》をはやしていた。まるで小さなブラシのような髭、世の中の煩《わずら》わしい雑事を、私がこのブラシでさっさと掃除してあげましょうというような髭だ。智子はこの髭と、税理士の万事にてきぱきとしてもったいぶらない人柄が気に入ったので、うっとうしい金勘定と書類仕事をこなすことが、ずいぶんと楽になった。