emily21gのブログ

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私はお姉ちゃんです。
母からも妹からもお姉ちゃんて呼ばれています。
母は私が3歳の時に父が借金をつくり離婚して妹はそのときまだ赤ちゃんでした。
父の作った借金を母はひたすら返しながら私たち姉妹をそだててくれました。
私は妹が可愛いくも、憎たらしくも思ってて
たくさん意地悪もしたし、たくさん抱っこもした
たくさん喧嘩したし、たくさん助けた
お母さんはせっせと床屋さんで働いていたから
私ら姉妹はおばあちゃんがいつも面倒見てくれた
おばあちゃんからは
たくさん愛されたし、たくさん叱られた
たくさんぶたれたりもしたけど、
たくさん甘えさせてくれた
妹はいつもおばあちゃんの膝の上でテレビ見てて
私はいつもおばあちゃんのお手伝いをしてた
重たいフライパンを斜めにもってお皿に写すのをてつだった。
洗濯物をとりこんだ。
お花にお水もあげたし、お米も研いだ
私は誰にでもニコニコ明るくて
妹は人見知りでいつも泣いていて
私はいろいろな人から可愛がられて
妹は人見知りで泣くからと疎ましがられた
妹はいつも泣いていて、今でもそれは変わらない。
妹が小学校に入学してすぐ学校で迷子になって泣いていた。
私は背中に負ぶってクラスに連れて行った。
先生から甘やかすなと叱られた。
小5のときおばあちゃんは心臓発作で倒れた。
もうほぼ命の保証をされない状態だったけれど、
驚異的な回復で退院できた。
それでもおばあちゃんは毎日つらそうで
私たち姉妹のために無理に退院してきたのだと思った。
毎日吐いていたし、その度に私は怖くて怖くて、背中をさすって神様に祈った。
おばあちゃんを連れて行かないでって。
また入院になっておばあちゃんは病室から見える小学校の校庭を見ながら言ってた。
『妹が泣いてるから帰れ』
見えるはずもないのに
おばあちゃんの窓の外を見てる姿を見るのが辛くて病院に行くのが怖くなった。
おばあちゃんは中学にあがるとすぐに死んだ。
朝方母が病院からの電話で起きて飛び出して、
しばらくしてからおいでと呼ばれ妹の手を引いて行った病院までの道のりをまだ覚えてる
朝陽がキラキラしててすごく綺麗な朝だった。
半分覚悟してたけど半分願いながら…
私にはつらい別れだった。
明るく振舞ってても一人で泣いてた。
だって、お母さんや妹の前ではしっかりしていなければいけないの。私はお姉ちゃんだから。
お母さんの口癖は『金がない』だった
だから私は高校生になったらすぐにバイトした。
月給の半分をお母さんに渡した。
すごく喜んでくれて私もお母さんを助けてあげられてると実感した。
それでも相変わらずお母さんの口癖は『お金がない』だった
私はもっとお金が欲しいと思った。
だって、友達みたいにブランドのマフラーや財布だって欲しかったし、流行のファッションアイテムも欲しかったし、遊ぶお金も欲しかったし。
だから学校を辞めて働いた
収入は倍になったからもっとお母さんを助けられた。
私もそれで満足してた。
でも友達が高校を卒業するとなんだか置いて行かれた気持ちになった。
私は先を歩いてたはずなのに一気に抜かれた気がした。
相変わらずお母さんは『金がない』っていってる。
妹にはこんな思いさせたくないと思って
高校にちゃんと行って卒業しろと常々言っていたけど言うことなんてきかないし。
私はどうにもならない無力感に乱れた生活をするようになってた。
仕事は遅刻や欠勤はしょっちゅうしたし、
キャバクラでバイトしたり、未成年なのに酒に酔って暴れたり、泣いたりした。
朝がくるのが怖くて仕方なかった。
なんで私はこんなに不幸なんだろうと自暴自棄になってた。
ある日相変わらず遅刻した私に、勤務先の先輩は激怒した。
『最近たるんでるよ‼️』すごい剣幕で怒られた。
私はその一言で号泣した。
それまで誰もなにもいわず、私も悶々と暮らしてた中に痛いところをつかれ、私の苦しみの全てが一気に溢れ出したからだ。
その日からは私はまたせっせと働いた。
いつかいいことがあると信じて働いた。
ある日会社の改変があり合併して新しい社員さんがきた。
そこで出会ったのが今の旦那様
彼と会って私の人生は変わった。
お母さんにこれからはお金を渡してあげられなくなると思ったけど
彼の腕の中で眠れる幸せの方が私には大切に思えた。
子供ができて安月給でも幸せに暮らせた。
マイナスさえなければ給料が安くたってやっていけたし、貯金もできた。
子供のママ友に同じ境遇の子がいて
『一緒に高卒をしない?』と誘われた
旦那も家族も賛成してくれて応援してくれた
大人になって高校生になって思った。
私は、きっと今だから
学べることがどれだけ幸せなことかがわかる。と。
高卒することができてやっとあの頃の自分を認めてあげられた気がした。
そうして、いろいろな人に支えられて社会復帰してこれから色んなことに挑戦していこうと思った矢先、
妹は精神の病気になったし、
母は慢性腎不全になった。
妹は今も泣いていて
母は病気と共存している。
たくさんお金を貸した。
妹と母がそれで救われるならと
せっせとパートで稼いだお金を
二人に貸した。
合わせて100万に近い。
妹はまだ泣いているし、
お母さんの病気は絶対に治らない。
妹は私に対して不満があるようで
いろいろ尽くしたつもりでも
それじゃダメだったんだとなんか悲しくなった。
一番ダメなのは私か。
良かれと思ってしてきたことは
彼女らをダメにするだけだったのかと
涙が止まらなかった。
でも同じ分だけこうも思った。
憎むべくは彼女らではなく、病だと。
そう思う自分と無情な現実との間で私は嗚咽した。
妹の病気を調べる中でこんな一文があった。
『支える家族はまず、自分の人生を大切にしてください』と
そうだ。私には守るべきものがある。
まずは子供を
そして旦那を
そして自分のことだって大切にしよう。と。
そう思えたら少し気持ちが軽くなったし
どうやら人の気も知らず、妹は泣き止んで旅に出た。
できることには限りがある。
私は母と妹のためにしてあげられることをはき違えていたかもしれない。
私はその答えをまだ見つけられないけど、
考え続けることは
私の人生の試練かもしれない
とりあえずは、試練はほどほどに
子供の笑顔と、旦那の笑顔と、自分が笑って
そんな風に生きて
時の流れに身を任せてみようと思う。