木曽三川分流工事(宝暦治水)~その3 | 2222年の空へ

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(本体サイトで約7年前にUPした記事のリメイク版です)

本文の内容は、木曽川文庫 に展示されている資料と
映像を参考にしてまとめたものです。


まるで海のような川を埋め立てて堤防を作り、
川筋を整えるという、とてつもない難工事が始まりました。

しかし、いざ工事が始まると、途中の検分では幕府の役人の
圧力(嫌がらせ)を受け、薩摩藩士たちは難癖をつけられ、
何度も工事のやり直しを命ぜられます。

現場で働く薩摩藩士たちに与えられたのは、粗末な小屋と
粗末な食事のみ。
食事や住まいの冷遇で、30名以上の病死者を出しました。

輪中で暮らす自分たちのために、薩摩藩士たちが
まさに命がけで働いていてくれます。

なのに、お上からの事前のお達しで、
病で弱った薩摩藩士たちに、地元の民たちが食糧や薬を
差し入れることさえ許されませんでした。

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自分たちのために働いていてくれる人をねぎらいたいと思うのは、人としての自然な心です。
縁もゆかりもないこの地で命がけで働いてくれる薩摩藩士を、心からお世話したいのです。
なのに民たちは、お上からのお達しで何もすることができませんでした。



幕府からの命令で、治水専門の職人を雇うことさえ許されず、
苦労してやっとできかけた堤防も、夏の大雨や台風があると、
また壊れてしまいます。

冬が来れば温暖な薩摩とは違い、山からの真冬の冷たい風が
吹きつけてきます。
冷たい川の水に浸かりながらの作業は、連日続きます。

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真冬の冷たい水に浸かりながらの作業で、身体が芯から冷えきってしまいます。
焚き火で暖をとっていると、幕府の役人から 「薩摩は怠け者」 、 「腰抜け」 と
嫌味を言われ、果ては我が殿を侮辱されます。
過酷な作業以上に薩摩藩士を苦しめたのは、こうした役人たちの冷たい言葉でした。



役人の命令や大水によって、何度もやり直しとなる工事。
「自然相手の戦(いくさ)」を覚悟はしていたものの、
いつ終わるのか目途もたたない日々。

疫病で病死する者、あまりの理不尽に憤慨して自刃する者。
薩摩藩士たちの心身の疲労は、極限に達していました。

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現在の、岐阜県養老郡根古地 近くの 大巻 にある 『役館跡』 に展示されているパネルです。
このように木曽三川の背後には養老山脈があり、雪解け水は上流の山々だけでなく、
ここからも流れてくるのでした。


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海津市 歴史民俗資料館 に展示されている資料です。 『蛇籠』 といいます。
江戸時代にはこのような、竹を編んだカゴに石を入れたものを川底に沈めて、
水を堰き止める道具としていました。