卵管がんが発覚した時、私はアパレル会社に勤めていました。
それまでは離婚後3人の子供を育てるために、いろいろな仕事をしていましたが、やっと安定したやりがいのある会社に出会えたのでした。
そんな時にがん発覚
手術とその後の抗がん剤治療が必要、との話にもう仕事は続けられないと思ったものでした。
しかし、会社の上司の理解もあり、週一度の抗がん剤治療を通院で行うことで、続けさせてもらうことができました
店舗のスタッフもみんな理解してくれて、私は夢中になって仕事をしていたのです。
抗がん剤の副作用でカットフルーツしか食べられなかったり、吐き気で倒れそうになったりしながらも楽しい毎日でした。
けれど、抗がん剤治療を始めてから4年くらい経った頃、1店舗だけでなく関西の数店舗の運営管理を任されていた私は、肉体的だけでなく、精神的にもかなり辛い立場にありました
朝から新幹線で東京まで行き、午後には名古屋に立ち寄って京都へ戻るなんてこともざらにあり、上司は心配してくれましたが、どうしてもやりきりたい私がいたのです。
思えば私が一番輝いていた頃でした
ただ、やはり肉体的にも精神的にも限界が来ていました。
そこで、私は若い後輩たちに仕事を任せることにしたのです。
同時に自分は会社を辞めて、自分の体を大切にしようと。
それから、スーパーのパートに転職しました。
役職もなくして、時間から時間まで勤務する毎日。
気楽さの反面、むなしさや寂しさも味わいました
でも、そういう時期にきていたのだと思います。
その後、そのスーパーがいきなりの閉店に追い込まれ、あっという間に失業へ。
しばらくゆっくりしようとコンビニでのバイトを始めた矢先に、今度は抗がん剤治療ができなくなる状態になり、お医者様から外でのお仕事はもう辞めましょうか、と提言
そして今は家でライターの仕事一本になりました。
ライターの仕事があって良かったと思います。
でも、こうして思い出してみると、時間の流れと共に仕事と体の関係がずっとあって、もしがんになっていなかったら、まだまだ輝けていたのにな、と悔しい気持ちにもなります
それでも、仕方ないよね。自分の体なんだから。
頑張り過ぎてたから、こうなったのかもしれないし。
長くなりすみません。
今は家でのんびりライターの仕事をこなしています