結婚して20年間以上一緒に暮らして支え続けた夫から、風俗嬢との不貞をきっかけに、家出する形で別居を強行され、離婚請求されています。第一審は夫の請求は棄却され、夫はその後控訴し、4/18に控訴審の第一審の予定です。
私は2010年から、重度のうつ病と診断されて、今も闘病しています。何かと理不尽な要求や干渉をしてきては、物理的、精神的支援は一切しない、大阪人の義両親が原因です。早く夫のサポートを頑張らなければと一生懸命闘病しましたが、夫は、米留学中の「会社にお金を返さなければいけなくなるから2年間は絶対辞めない。できればその上のポストも目指したい」という何度も約束したことを無視して、私に相談もなく、勝手に転職しました。私は何の為にこの一年間あんなに必死に闘病したのかと絶望感に襲われ、実母の上京、介護もあって、ようやく治りかけていたうつ病は、以前より悪化しました。その後も留学時代、私の卵子年齢を真剣に考えなかった夫のせいで、38歳になり、体外受精を始めましたが、既に私の卵子状態が非常に悪く、辛く長い治療生活でしたが、結果が出ず、うつ病は更に悪化していきました。
そんな中でも、夫を支える気持ちと、子供を何とか授かって、笑いの絶えない、温かな家庭を築いていきたいという、子供の頃からの夢を叶えるため、私は病気とつきあおながらも、一生懸命頑張りました。私はアメリカの大学に進学し、その後大学院卒、その後それなりにハードな会社で社会人経験を積んでいますが、バリキャリ志向ではなく、全ては将来夫と子供を物理的、精神的に支えたいという思いから、勉強もハードワークの仕事も頑張ってきたのです。このことは結婚前、同棲時期に夫に常に話しており、夫も了承済みでした。
それが、コロナ以降、私が子供もいないのの、うつ病のせいで家事も満足にできまお、社会人の社会の揉まれて成長を求めていないと、次第に態度を変えるようになり、私は困惑していました。コロナ禍になって3年目頃、夫は「Hがしたかった」(夫の裁判での証言)という理由で、風俗に行き、20歳以上も年下の23歳の特定の女性にのめり込み、半年のうちに30回以上もその女性の店に通い、店外でもあっていました。その後夫はその女性を風俗店を辞めさせる為に、女性の借金と生活費を払う為、130万円を渡しました。その後女性と連絡が取れなくなった夫は300万円を支払って、探偵社に女性の所在を探させ、またその女性と会っていました。私は2021年4月にこの事を発見し、大変ショックを受けましたが、夫を失いたくないという思いから、耐えていました。しかし半年ごろ経った、12月2に、夫の楽天トラベルの記録から、私が2週間実家に帰省している間に、10回以上もシティホテルで女性と会っていることがわかり、耐えかねた私は夜中夫を問い詰めました。寝ていた夫は最初戸惑っていましたが、認め、詳細は明日話そうと言ってその日は寝ました。翌日の話し合いで、「別に私と離婚してその人と再婚したいとかいうわけではない」と、夫は明確にいい、また普通の暮らしが続きました。
12月中頃、夫が「あと何年お母さんと年末年始を過ごせるか分からないから、福岡に迎えに行って、帰りも送って行ったら」と提案し、夫は本当に改心したんだなと喜び、母も喜んで、3人で年末年始を楽しく過ごしました。
ところが、夫の言う通り母を実家に送って行き、1週間ほど過ごして、明日東京に戻るという夜になって夫が突然母に電話をして、「(私とは)離婚します。もう家も出ました。家に帰ってもいません。元の活発な私に戻ったら、また復縁します」と一方的に告げて、別居を強行したのです。
それからわずか1ヶ月で夫の弁護士から離婚請求の手紙が届き、とにかく何をしていいか分からなかった私も弁護士を探してやり取りをするしかいかなくなりました。とにかく、なぜこうなったのか、一度会って話してほしいと懇願しても、「離婚前提」でなければ会わない」としか言わず、何も話し合いはできず、第一審結審まで行きました。
夫の別居強行に利用される形で年末年始を一緒に楽しんだ母も、嘆き悲しんでいます。義理の両親は物理的に、精神的に一切援助をする人達ではなく、むしろたかるばかりの人達で、留学中の生活費や、帰国後の生活費の補助、不妊治療の補助など、私の実母からの夫への金銭的支援は実に2000万円を超えています。
こんなに献身的に支えてきた私と母を、夫は20歳以上もとししたの風俗店勤務の女性の為に、あっさりと捨てたのです。
それからは、毎日、地獄の日々を送っています。ベンジンを飲んだり、向精神薬を何千錠も飲んだり、トイレのドアノブで首を吊ったり、自殺を何度も試みましたが、全て失敗に送っています。
今は、海外から青酸カリの入手を求めているところです。