お久しぶりです。

皆さま、コロナも終息(収束)に向かいつつある(あくまで希望ですが💦)昨今お元気でお過ごしの事とお察しします。

半月ぶりにブログに向かいます。
そんな私のブログを忘れず覗いて下さりありがとうございます😭

また少しづつ復活したいと考えております。
よろしくお願いします🙇‍♂️


この一年は、長年連れ添った伴侶を亡くし供養の日々でした。

一周忌を済ませ一区切り出来た想いがします。
それを機に朝の公園でやってるラジオ体操に参加し始めました。
そして、ボチボチブログを前に進めてみようと思いました。

また、よかったら訪問して下さいね。


コロナ禍で主人は、ひっそりと旅立ちました。

主人が生きていた時は、有り難いとも思わなかった事が寂しさと共に思い出されるから不思議。
例えば、スーパーの買い物など。
「何で必要ないものまで買うんかな〜」
「買い出しに何軒もスーパー梯子せんでもいいのに」
「買い物行くなら自分で料理したらいいやん」
などと批判的な事ばかり言ってた私。

主人が亡くなり、しばらくはスーパーに行けなかったのです。
そこから、ひょっこり主人が出て来そうで…
面影がスーパーに残ってるなんておかしいです。

まぁ、毎日と言っていいほど2人で車に乗って
色んなところに出掛けましたが◯◯市内の道は、特に主人との思い出が染み付いていて、ひとりで走る🚙と寂しさが込み上げて来ました。

愛情のカケラも無いと自覚していたのに、人並みに🥲感傷的になるものですね〜。


そして、もうひとつ不思議なのが遺影の事です。
一年経った今では、遺影がちゃんと遺影に見えますが、他界した当時は、まるで主人がそこに存在してる様でついつい話しかけてしまうのです。

やはり、主人も私達家族の事が心配だったのかもしれません。
そして、つい最近の事
愛情のカケラも無かった私が後悔していると「そんなに苦しむな」と声がした気がしました。

果たして主人が許してくれたのかどうかは分かりませんがスッーと腑に落ちたものでした。


そんな具合で一周忌を一区切りと思える様になりました。
主人も、逝くべき何処へ辿りついたのかもしれません。




皆さまの中にも、いつの日にか夫婦二人連れの姿を見て「あの時は、ほんとは幸せだったんだ」と
思う時が来るかもしれませんよ。


これからは、後ろばかりを振り返らず
前を見過ぎて不安にならぬよう
『今がある、それだけで充分』と口ずさみ生ききるぞ〜。と思う私です。


またよろしくお願いします🙇‍♂️