能島水軍潮流体験をしたので せっかくならここ




今治市村上海賊ミュージアム


ここに寄ってみよう!


場所は 潮流体験の乗り場の道を挟んで目の前





ここは 行ってみて良かったと思いますよ。


ちょっと概念が変わりますから。


村上海賊

海賊と言うと 船を使ってそこを航行する船を襲って略奪するみたいな 怖いイメージあるけど

所謂☝️こう言う 外国の海賊とは 全く違う。



海賊ではなく、どちらかと言うと その海を拠点とした大名だよね。



武力はもちろんだが、文化的にもかなり進んでいたのもわかる展示もありましたよ。



このような船で そこを通る船の水先案内しその通行料などで 財を成していたんですね。

😓通行料ってどうなの??って話は、現在の価値観で 大河ドラマでも 比叡山の僧侶が通行する人から ",通行料取ってる場面でてたよね。



通行料を支払った船は この旗を掲げる事により

潮の流れが激しい瀬戸内海を安全に 通る事が出来たって話しね。


本当は 水軍なんだけど

なんで、海賊って呼ばれるの?


歴史が好きな人は 知ってると思うけど

天下布武を掲げて 勢力を伸ばしていた織田信長。

その信長を1番苦しめたのは

浄土真宗の石山本願寺との戦い。


今の大阪城にあった石山本願寺勢力を 兵糧攻めにしようとした信長だったが

実は 村上水軍や九鬼水軍が 海 川から どんどん物資を運んでたので 兵糧攻めが効かなかった。

結局、攻めきれずに 朝廷に頼んで和睦する事になる。


では、誰が村上水軍を海賊と呼んだのか?

それは ポルトガルの宣教師ライブフロイス


ルイスフロイスと言うと 彼が書いた『日本史』があるのだが そこで村上水軍を日本一の海賊』と紹介した。



イエズス会のフロイスが 布教教史として書いた日本史は 歴史を調べるとフロイスの日本史が
一次資料として出てくるのだが
例えば その家の歴史書と違って史実を客観的には書いてはあるのだが
やっぱり フロイス自身の主観の内容も多くて
ん??となる事も多い。

フロイスは ちょうど戦国時代に来ていた宣教師で
信長とはかなり親密だったようで
フロイスの信長に対する評価は とても好意的。
(これは、信長がキリスト教に対して 寛容だったから。反対にキリスト教に好意的でない戦国大名については ボロカスに書いてて むしろ悪口でしか無い。)ね!フロイスの主観が入りまくりでしょ?😂
それに、信長が亡くなった後は 信長がキリスト教ではなく
禅宗 法華宗に帰依していたのが ムカついていたのか
遺体が見つからなかったのは バツが当たったからだと
言いたい放題だし😅

話を戻して、言う事は 信長と敵対し 信長を苦しめた村上水軍は 外国のあの悪名高い海賊と一緒だ!となるのもわかるよね。



村上水軍は この能島水軍 来島水軍 因島水軍の三家を総じて 村上水軍と言うが
この村上家は 村上天皇の子孫だと伝えられているそうです。
私は眉唾かなぁと思うけどね。😅 家康も清和源氏の名前が欲しくて 朝廷に多額の金額を支払った場面は どうする家康でも描かれていたよね。

天皇家の血筋と言う自負もあり あの瀬戸内海の島々の中で 雅な文化を育てたのかなぁとも思う。
まあ、船で海や川から 大阪や京都へ行って そこで都で貴族にはどんなものが流行っているか?とか 知る機会も他の国より多かったと言うのもあるんだろうけどね。

歴史好きにはたまらないし 歴史が苦手な人でも

日本における海賊の概念が 良くわかる場所なので

良い所でしたよ!



出川さん達が この少し前に充電旅で来てた。

この時 反町隆史さんの回だった。



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