実は葛城一言主神社に行く前に ちょっと気になった看板を見つけてまして




😲え?なになに?ここに高天原の伝説あるの??


気になるでしょ?気になるよね〜〜😂


この葛城山に高天原があって、その子孫が日向に向かった???


で、行ってみました!

この神社の事は 全く知らなくて どんな神社なのかなぁ〜と思って行ってみのですが



参道の杉の木も立派で

すみません、写真があまり残って無いんですけど


😳

正直 驚きました!


高天彦神社



ぶっちゃけ 社殿なんかは さほど大きく無いのですが、

こう言う言い方は 馬鹿っぽくて嫌いなんですが

この神社は すごい!😳


ここが、高天原だったからか??


と、思って 境内を歩いて。。。


🤔いや、これは違うなぁ。

むしろ、祀られてる神様 変えられてる可能性の方が高いなぁ。

と、思った。

すみません、写真があまり残ってなくて 写真少なめで💦


ここから、考察です。

この神社の御祭神は 三柱お祀りされてますが

もともとは、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)

1柱だけ お祀りされてました。

高皇産霊神は 鴨一族の祖とされてますが。。。

😓いや、これは絶対、後付けだと思うよね。



私が 注目したのが

一緒にお祀りされてる 神様が

市杵嶋姫命と 菅原道真公

このニ柱の神様をお祀りされてるので 

もしかして?と思ったんだけど 

末社に 井上内親王がお祀りされて 確信しました。


聖武天皇の皇女 井上内親王は まさに讒言によって 全く事実無根の罪に着せられて 

(彼女は そのような呪詛を天皇にかける理由が無い)

廃皇后 息子の他戸皇太子も 廃太子になって 流配 幽閉され

最後は 暗殺されてしまったとてもお可哀想な王女様。

これ、本当に酷いなぁって思う話しですよ💦

この話を 詳しく書くと 長くなるのでここまでにしますが

彼女には、全く天皇を呪って得する事は 皆無。


井上内親王をお祀りしなければならなかったのは、それした人達の後ろめたさ。

つまり、菅原道真を 天神様とお祀りしたのと同じ。

実際 旦那様の天皇も庇ってくれなかったしね。


では、元々は何がお祀りされていたのか?



高天彦神社の地図を見ると判るのですが

土蜘蛛の塚


写真はお借りしました。


もっと広くみると

実は その前にお詣りした 葛城一言主神社でも

土蜘蛛の塚があったのです。


この土蜘蛛は 

こんな昔話が伝わってはいるのですが


この土蜘蛛は、神武東征の時に それに従わなかった 地元の人々で 抵抗して滅ぼされた

まつろわない民だったのです。


※土蜘蛛の塚は その人達の墓


葛城一言主神社の蜘蛛塚には

(伝説では、神武天皇が 蜘蛛の頭と胴と足 3つに切って埋めたと言われてる。)

😓これ、人だったとしたら 祟られる所業



高天彦神社周辺の地図


蜘蛛窟


こちらもお借りした画像

ここは その人たちが住んでいたとされるところ。


これが、高天彦神社の境内やすぐ近くにあるとしたら

ここは、その人達の神様 古代だったので アミニズム(自然崇拝)の場所だったのでは無いか?



そうなると、ここは今言われてるご祭神ではなく

ここに住んでた人達が 名前さえつけられてなかった神(畏怖する存在)が 祀られてたんだろうなぁ。

と、思います。

今は 抵抗して滅ぼされた土蜘蛛(勝手に名前をつけられた)の呪いを封印してる。


ぶっちゃけ 各地の神社 意外とこう言う神社多いっすよ。

磐座や神籬に神を降ろしてた場所の神様は 今言われてる神様と違ってることが多いです。

まだ、末社に移されてるところは 良い方かなぁ。




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