出雲大社を参拝して ARで古代の出雲大社のスケール感を味わった後は


出雲大社のすぐそばの

島根県立古代歴史博物館




ホテルに割引券があったので、いただいて来ました。






出雲大社の歴史から



遺跡からの出土品など 見どころ満載!



銅鐸なども 沢山出土してて その数をみても

出雲は大きな力を持ってたのが判る、



出土品から 古代出雲の大王は こんな感じだったと想像される。



そして圧巻はこの銅剣の数‼️‼️



ーここからは、歴史の話 (苦手な人にもわかりやすく)


武士(もののふ)が 生まれた経過はご存知ですか?

その昔 まだ 定住せずに居た時代から 稲作など農耕をするようになって その土地に定住するようになったのは 歴史の授業で聞いたことはあると思います。


農作物を作って定住するようになって、今度はその食料となる作物を 泥棒など盗賊から守る為に

武装した自警団が作られたのが 武士の始まり。

荘園が出来た時に 正式に確立された。


ここの出雲も、素戔嗚尊が治水工事(八岐大蛇伝説がそれ) その他にも 大陸からの技術を出雲の人々に伝えて 発展していって 巨大な國を作ってた。


外敵から 住民や食料を守る為に これほどの銅剣が作られたのでは無いか?と思われる。


この博物館は、二度目の訪問だったけど、初めて来た時は

やっぱり 出雲の国譲りは 大きな戦争が起きたのだ!

と、思ってたんですね。


出雲大社の巨大な神殿は やっぱり ころされた大国主命の呪いを封じる為に作られたと 井沢元彦先生も仰ってるけど その通りだと思う。


が、人々がころし合うような 大きな戦は起こったのか??


沢山の銅剣が見つかったのですが 出雲に限らないんだけど

戦争のような 大きな戦で亡くなった人々の人骨が見つかってない。

これは、竹田恒泰先生が 仰ってましたが そうなんですよ。


実際 大陸な朝鮮半島では、こう言う人骨が発掘されてて その人骨は大半が 頭の骨が殴られて大きく陥没してたり 中には顔の部分を潰されたと思われる骨が戦があった場所から出てくるそうで。


と、言う事は、日本では 古代そう言う悲惨な戦が少なく うまーく融合していったと考えられる。

もちろんね、いろんないざこざで、ころされたりころしたりは あったと思いますよ。


実は 客人(まろうど)を 厚くもてなす文化があったと言われてるの。


そもそも、素戔嗚尊も大国主命(大己貴命)も そもそもは そこに生まれた人では無い。

昔の出雲は 末子相続で 素戔嗚尊は奇稲田姫

大己貴命は せすりひめ そこの土地の王の末娘と結婚して そこの王となった。

大己貴命は、兄弟に虐められたと言う話は よそ者が お姫様に惚れられてて 他の人が嫉妬したから。


話を元に戻して国譲り

天照大神が この国は 元々我々が治めていたのだから 譲るように。

と 来た時に 普通なら抵抗するよね??

あれだけの銅剣など、沢山の武器もあるのになんで??


それでも、戦の痕跡がない。。どう言う事か?

これは、出雲よりも もっと圧倒的な武力を目の当たりにして これは勝てないと思って 戦を避けたのではないか?と。

これは、大国主命の子供 建御名方が 天孫族の武甕雷命との戦いの場面で 想像出来る。


ちなみに、大国主命が 息子達に聞いてくれと言ったのは 元々の血筋は 息子達だからだと言う。

(初めは、おいおい大王が 息子に聞けってどう言う事?って思わなかった?)



三瓶山の噴火で埋まってた杉の木



八岐大蛇かな?



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