出雲大社バスターミナル。

ここから、日御碕方面のバスに乗ります。

しかーし💦雨が降って来ちゃったんですよね😣

😅(まあ、雨がひどい時は 折り返しのバスで帰って来ればいいか)



しばらく乗っていると、
😲(あ!お日様が顔を出してくれた!)

それでも、窓には光雨粒が落ちてる。




ここの道は 何度か走ってますが バスで来たのは初めて。




バスに乗ってやって来たのは

日御碕神社



ここの神社は 歴史を調べると興味深いですね〜

出雲の国譲り神話の本当はどんな事があったかを想像出来るんですね。


出雲大社の祖神(おやがみ)様として崇敬を集めているのは

元々は、上の宮(神の宮)に お祀りされてる

素戔嗚尊の魂がお鎮まりになっていたから。


元々は、日御碕神社の裏の山の隠ヶ丘にお祀りされたのを 後に安寧天皇の勅許により ここにお祀りされるようになった。

隠ヶ丘って名前で判る通り お隠れになるは お亡くなりなったと言う意味で つまり古墳。


その古墳から 安寧天皇(第3代天皇)の勅命により ここにお祀りされるようになった。


そして何百年もの時を経て 経島に天照大神をお祀りしてた日沈宮を 村上天皇(代63代)が この地に遷座の勅命を下されて 今の形になった。


日沈宮。。確かに 伊勢に対して 西にあるので 日が沈む場所ではあるので 伊勢は昼を守る神社 日御碕神社(日沈宮)は夜を守る神社と言われてるけど。。。

そもそも 天照大神って 太陽で 夜を守るとしたら 三貴神の中の 月読命が夜をって言うのが自然なんじゃ無いかなぁ。

なぜ月読命が 表舞台に出なくなったのは 正統竹内文書に理由が書かれているのだが それは今回はおいときます。




村上天皇は なぜここに 天照大神をお祀りしようと思ったのか?

それもね、日本の最高神である 天照大神が下の宮

素戔嗚尊や出雲系の神様を上の宮としてるのも 何か意味があるのか?


これは 村上天皇が在位されてる時に 国で何が起きているかを調べるとわかる。

村上天皇は 関白をおかず自ら政務を行い(親政)

『天暦の治』を行った天皇ですが

疫病が流行り 律令制度は崩壊し 地方政府はかなり乱れてた。


昔の天皇は、そう言う世の中の乱れは 自分の神徳の無さだと思われてたのね。


ここに、出雲の祖神のそばに 大和族の祖神の天照大神を近くにお祀りして 出雲の祟りを封じようとしたのではないか?と思うんですよね。



出雲の国譲りは、平和的に話し合いで行われたと言われてますが 実際は そんなに簡単に国をあけ渡せるものじゃないと思うのよね。



出雲で見つかった 沢山の銅剣をみて やっぱりそうだよねと思ったのよ。


大和族の天皇が 民を大御宝と呼んでくださったように 出雲族の神の下にも 民はいたはずだしね。


滅ぼされた方より、滅ぼした側の 贖罪の気持ちが 祟りを作り出したとしたら 

元の大きな神殿の出雲大社は、その祟りを恐れて立派な神殿を作った。

と 言う事なんだと思いますよ。


ただね、もう少し深掘りすると 元々の出雲族ってなんぞや?と そっちに行き着いて 外から来た素戔嗚尊(治水などの技術を持ってやって来て その後大国主となった人達)が 大和(倭人)に返したんじゃないか?って話もあるんだけどね。

ちなみに 大国主命って1人では無い。役職名だから。(総理大臣みたいなもん)

大物主は警察庁長官みたいな感じね。




後光がさしてて、天照大神祀られてるなぁ〜って感じ。


素戔嗚尊を上にして ヤマトは下ですからね。

と慰めてるのが

それとも ここで素戔嗚尊を封じ込める意味なのか。。。


※あくまで 個人的な意見です。







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