息を引き取ったのは7日早朝で、大往生だった。同牧場の谷岡毅代表によると、5日までは与えた配合飼料は残さず食しており、また日中の放牧でも普段と変わらぬ様子だった。しかし、6日に急変。馬房で横になったままで、翌7日早朝に息を引きとった。
同馬は故・境勝太郎厩舎に所属、87年にデビューを果たし、その年の朝日杯3歳Sを制し、頭角を現した。翌88年のクラシック戦線は、ヤエノムテキ(皐月賞)、サッカーボーイ、コクサイプリンスなどがひしめく激戦だったが、そんな中、ダービーを歴史に残る大デッドヒートの末、メジロアルダン以下を競り落として優勝した。その後は屈腱炎のため力を出すことができず、89年の宝塚記念16着を最後に競走生活にピリオドを打った。90年から種牡馬。代表産駒はサクラエキスパート(97年愛知杯)などで、2001年以後は去勢され新和牧場で余生を送っていた。