99年、トルシエ監督率いるU-22(22歳以下)日本代表のエースとして、シドニー五輪予選で17得点。日本の予選史上最多で、全世界を通じた予選得点王にも輝いた。翌00年の本大会では、MF中田英や中村俊とともに68年メキシコ五輪以来32年ぶりの8強に進出。同年、鹿島で史上初のリーグ、ナビスコ杯、天皇杯の3冠を達成し、A代表にも選ばれた。NHK紅白歌合戦への招待や、ハウス食品「バーモントカレー」のCMなどで人気者になった。
04年に移籍した神戸では股関節痛に悩まされ、07年に戦力外通告。引退して解説者に転身予定だったが、同じく元鹿島の仙台手倉森監督に引き留められた。仙台では神様ジーコの練習法など鹿島時代の経験を伝授。08年にチームのFW最多となる11得点(38試合)をマークし、09年に7季ぶりのJ1昇格に貢献した。