86年の菊花賞馬で、天皇賞馬メジロマックイーンの兄にあたるメジロデュレン(父フィディオン)が、15日に長野県佐久市のスエトシ牧場で、老衰のため死亡したことが19日、分かった。26歳だった。
同馬は、栗東の池江泰郎厩舎から86年にデビュー。春のクラシック戦線には乗れなかったが、秋にステイヤーの血を開花させ、菊花賞を6番人気で優勝。翌87年には有馬記念を制するなど、通算21戦6勝で競走生活を終えた。
90年に種牡馬となったが、活躍馬を出さないまま94年に引退した。その後は乗馬となり、04年からはスエトシ牧場で功労馬として余生を送っていた。
まずはメジロデュレンのご冥福お祈りいたします。
メジロデュレンといえばやはり86年の「菊花賞」ですね。
このレースには私が競馬を始めるきっかけとなった馬・ラグビーボールが
日本ダービーに続き1番人気に推され、神戸・京都両新聞杯を
直線強烈な差し脚で連勝したタケノコマヨシが2番人気
ダービー馬ダイナガリバーはセントライト記念・京都新聞杯いずれも4着と
敗れてたこともあり5番人気と人気を下げていた。
メジロデュレンは前走菊花賞と同距離の嵐山特別を勝っていて
長距離血統でもあり6番人気と単穴人気をしていた。
天候は雨ではあったが良馬場でレースが行われ
道中4番人気のサニーライト(この馬もいい馬でした)が故障発生競走中止となり
場内が騒然となる中、先団につけていたダイナガリバーとメジロデュレンが
直線抜け出し、最後にメジロデュレンがダイナガリバーを半馬身かわし優勝した。
応援していたラグビーボールは直線追い上げたが3着が精一杯だった。
その後は勝利に恵まれなかったが、翌年の有馬記念では
1番人気のサクラスターオーが競走中止、3番人気のメリーナイスが
スタートした瞬間に落馬してしまうという荒れたレース展開となり
10番人気のメジロデュレンが菊花賞以来の勝利を収めた。
このレースは2着に7番人気のユーワジェームスが入り
枠連4-4で16,300円と配当も大荒れとなった。
菊花賞が6-6、有馬記念が4-4とGⅠ勝利がどちらもゾロ目でした。
ある意味、メジロデュレンという馬は記録より記憶に残るそんな馬でしたね。