私は機会があるたびに色々な場所で演奏をさせてもらった。

 

いとこの結婚式や友人、先輩の結婚式、

自治体の会合や忘年会、クリスマス会。

当時の科学万博会議会場での演奏もさせてもらった。

 

学校の文化祭でのイベントではその学校の校歌を演奏することがオープニングだ。

 

皆、「どうしてうちの校歌知ってるのー!?」とざわつく。

 

当時はやっていた歌謡曲を演奏すると学生たちはすぐに乗ってきてくれた。

 

おしゃべりが得意だった私はステージで自己紹介しながら

曲の紹介もすべて自分でこなした。

 

デパートやモールでの演奏はお得意だった。

楽器の紹介をしながら販売の手伝いもする。

動く車の荷台に乗って演奏する、と言うアクロバティックな事も経験した。

 

近い将来、ヤマハのデモンストレータにでも応募していつかは海外にも遠征できる

”できる デモンストレーター”になってやる!と闘志に燃えていた。

 

そしてある年の年末、田舎の学校のクリスマス会のイベントに呼ばれた。

昔からある木造一階建ての平屋の校舎で、いかにも田舎の学校だった。

 

スタッフがトラックでエレクトーンを搬入する。

会場でリハなどをして時間をつぶしていると先生たちがかわるがわる挨拶に見えてくれた。

 

「生徒たちがとても楽しみにしていたんですよ。今日はどうぞよろしくお願いします。」

 

そう丁寧に挨拶してくれる。

素直にうれしかった。

子供たちのためにも今日のステージ頑張ろう!

そう自分に気合を入れた。

 

学校の全生徒が床に体育座りをして私に注目する。

 

いつものように校歌を演奏すると、子供たちが歌いだした。

うれしい。ライブの反応は演奏する方にとってはとてもうれしいのだ、

 

自己紹介をして淡々と曲を演奏して行った。

最後は、子供たちの大好きなアニメの曲を演奏する。

 

「最後の曲はみんなが大好きな曲ですよ。

一緒に大きな声で歌ってね!」

そう紹介してから当時流行っていたアニメの曲のイントロを始めると、

子供たちが一斉に声をあげた。

 

「わあー!あられちゃんだあ~!!」

 

興奮した子供たちはさっきまでおとなしく座っていたのに皆、突然立ち上がって

大きな声で歌いだしたのだ。

 

「きーたぞ、きたぞ、あーられちゃんー」

 

今までで一番大きなリアクションだった。

演奏していた私が圧倒されてしまった。

 

そしてその子供たちのきらきらとした瞳!

楽しそうな笑顔!

感動してしまった。

 

今まで色々な場所で演奏をしてきたのに、なぜかこの学校での

イベントが一番圧倒されてしまった。

 

子供たちの素直なリアクションと大きな歌声、

音楽ってすごいな、と演奏していた私が感激してしまった出来事だった。

 

「エレクトーンのおねえさんにありがとうを言いましょうね」

そう言った先生の言葉で、子供たちがとても大きなありがとうをくれた。

 

生徒たちは教室に戻り、きっと帰りの会をしていた頃であろう、

私たちは運動場で帰り支度をしていた。

スタッフが楽器をトラックに積みながら私にこう言った。

 

「エミサン、後ろ、見てごらん・・・」

 

え?と思い後ろを振り返った。

 

すると木造校舎の窓一杯にさっきの生徒たちが手を振りながら

 

「ありがとー!またきてね-!」

 

腕がちぎれんばかりに皆一杯手を振っていた。

 

なぜかあふれる涙。

 

その時、私の身体に稲妻が走ったのだ。

私が長年探していたものが見つかった気がした。

 

子供たちのきらきらとした瞳

楽しそうな笑顔

大きな歌声

音楽が人に与える感動。

 

子供たちにその感動をもっと伝えたいと感じた。

この出来事は一生忘れないほど衝撃的だった。

 

そしてその後すぐに講師試験を受けた。

 

地方は講師不足なので講師試験に受かればどこでも受け入れてくれる。

実際勤務していた楽器店で講師として喜んで引き受けるよ!と言ってくれた。

 

一次試験も二次試験も問題なく終わった。

 

ある試験で初見で歌う科目があった。

初見は大好きだったのだが、少し緊張していた私は

ソ#の音を見事に外してしまった。

 

自分でそれがすぐにわかり歌いなおしたが試験だっただけに

審査員の先生の言葉が気になった。

 

「あなたはどこで音楽を勉強したの?」

そう聞かれた私はあせってどこの音楽学校なのか?と聞かれたのかと勘違いしてしまった。

 

「あの、音大は行っていないんです」

 

そう答えた私に間髪入れずその先生は言ったのだった。

 

「あのね、音大に行けば皆よい先生になれるわけではないよ。

だから音大に行っていないことを卑下に思う必要など全くないよ。

実際あなたは実力でここまで来たのでしょう?

努力を続けていれば良いのです」

 

その先生の言葉が胸に刺さった。

 

講師研修でも一番年下だった。

皆、大学や音専校を卒業した年齢の人の中で私は若干19歳で

一緒に研修を受けた。

 

研修は今思えば素晴らしくためになる教育をしてくれた機会だった。

講師としての心構えからこどもを教えると言う事、

実際の指導方法からテキストブックの意味、学習プランの立て方など、

今まで考えたこともないくらい沢山の情報を教えてくれた。

 

実際に教室で指導が始まると、100人近い生徒を受け持った。

 

幼児科を修了した子供たちから大人まで、それはそれはたくさんの

生徒さんたちを受け持った。

 

ありがたかった。

新人の講師に沢山の経験をさせてくれたのだから。

 

大きな教室で8人からの先輩講師さんがいた。

そこで社会経験もさせてもらった。上司や先輩とのやりとり、

講師会やシンポジウムでも発表や研究。

 

楽器店での発表会の良い経験になった。

今までは出る方だった側から、今度は指導して出させる側。

全く反対の立場だった。

 

ひとつの発表会の企画から準備、本番、後片付けなど沢山の人の

力とエネルギーと努力が無いとはじまらないんだ、と勉強させてもらった。

 

当時東京ディズニーランドが開園したばかりだった。

元からディスニー音楽が大好きだった私は、こっそりとレコーダーを忍ばせて

園内のステージを録音した。

家に帰ってそれを楽譜に起こしてアンサンブルを生徒たちにさせてみた。

 

その曲を発表会で演奏した時ウルウルと涙している保護者の顔を見て

こちらも泣けてしまった。

 

これがきっと私の一生の仕事だろうな、と思っていた。

 

まさかその数年後にアメリカへ移住するなんて想像もしていなかったのだった。

 

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