*迷走と後退 ①
その職場は、主に精神障がい者の人たちを支援して、就労に繋げることを目的とした場だった。
自分がひきこもりになってからというもの、いつかはそういう仕事に携わってみたいと、仄かな灯(ともしび)のように思っていた。
10代後半の時に、両親に無理を言って、とある若者の自立支援施設に行かせてもらったことがきっかけだった。
下は10代から上は40代まで、少し大きめの家といった風情の寮で暮らし、農業をしながら心身の回復、成長、交流を図る場所だ。
そこで接した、今から思えば随分と若いスタッフさんたちに憧れ、自分もいつか彼らのように誰かの支えになれればいいなと夢見た。
心が荒む一方の中で、いつしかそんな想いはどこか彼方に消え去っていたが、社会に戻ってみると、またぞろ希望が息を吹き返した。
したいかどうかでなく『簡単なお仕事』という文言に釣られて選んだ職場は、最初こそ新鮮だったけれど、段々と「こんなことがしたいんじゃないのに」という違和感と不満に満たされていった。
仕事内容は単純作業で、頻繁に人の入れ替わりがある。
私の中では到底、その後何十年に渡ってその仕事をしていくという選択肢はなかった。
ひきこもりから抜け出したばかりの時は、ただ生きているだけで十分だった。
その上、働けているということが奇跡のようだった。
だけれど、それにも慣れると、もっと好きなことがしたいという欲が湧いてきた。
「こんな誰にでもできる仕事は、自分のすることじゃない」
「もっと人に誇れる仕事がしたい」
そんな風に思った。
どんな仕事にも、一般的には『誰にでもできる』と言われる仕事でも、というより寧ろそういう仕事ほど、世の中や、毎日の生活を支えている。
今はそれがとてもよく分かる。
どんな仕事であれ、その職場に選ばれて、お給料を貰っているありがたみも分かる。
けれどその時は、『特別』を求めていた。
自分を肯定してると言いつつも、それだけでは不安で、『他人からの評価』という、分かりやすい指標を求めていた。
同時に、焦りもあった。
私がまた世の中に戻ったのは20代半ばで、普通のルートを通っていたら、もう入社数年が経ち、実績を重ねたり、居場所を得ている時期のはずだった。
だから、自分も早く『人並み』の場所まで、登っていかないといけない。
その声に、急き立てられていた。
ここでもまた、人との比較にはまっていたのだ。
まだまだ、劣等感が心の底に膿となって固まっていた。
けれど悪いことばかりではない。
その劣等感のお陰で、新しい場所にもやって来られたのだから。
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