*『私』とのお喋り ④
 

 気付いてしまった瞬間、もの凄い喜びとエネルギーが自分の中に流れ込むのを感じた。

 目の前の顔も体型も、何1つ変わっていないのに、それはおよそ理想とは程遠いのに、それとは関係なく、自分を肯定する想いが湧いてきた。

「かわいい」
「スタイルがいい」

 ああ、私はずっと、そう言いたかった。自分に言いたかった。

 目の前の現実がどうあろうと、自分に肯定され、褒められたかった。

 これまでの鬱憤や悲しさが、ほろほろと解けていく。

 たったこれだけのことで良かったのだと、知った。

 それまでは、必死で努力し、痩せて、美容に励み、そうして結果が出て、人に褒められ、それを維持して、その時に初めて、自分を認めていい、褒めていいのだと思い込んでいた。

 逆に言えば、そこに至らなければ、ずっと自分を貶めて否定していくしかないのだと。

 けれどそれは違った。

 私が求めていたのは、私を幸福にするのは、努力や結果や他人からの承認ではなく、たった今自分を肯定して、安心を与えてくれる存在なのだと。

 そしてその存在とは、他人ではなく、自分自身なのだと。

 ずっと私の頭と肉体を占拠していた、強迫観念としての『存在』の属性が、くるりと一転する。

 私を罵倒し、どんな隅までもつついて傷付け否定して来た存在は、この瞬間から、どんな時も私を肯定し、癒し、励まし、受け入れる存在となった。

 私の一生の、一番の、味方となった。 

 毎日、鏡を見続けた。

 抹殺したかったはずの自分の姿を見ることが、日を追うごとに楽しみになっていた。

 容姿を肯定するのがあまりに気持ちよかったので、他の分野でも自分をひたすらに褒めちぎった。

「かしこいね」
「えらいね」
「優しいね」
「才能があるね」

 どれもこれも、これまで欲しくてたまらない言葉だった。

 渇望しているくせに、禁止していた言葉だった。

 その言葉のシャワーを、毎日毎日、ことあるごとに、自分に浴びせ続けた。

 サイトには、自分を肯定するのに、現実的な根拠や照明はいらないと書いてあった。

 だから私は愚直に、素直に、自分を手放しで褒めまくった。

 ただ心の中で繰り返しているだけなのに、私の気持ちはどんどん明るくなっていく。

 気力が満ちて、自然と部屋の外へ出ようという気になった。

 鏡に映る自分に、何かを与えたくなったのだ。

 そこで、超がつくほど苦手だった美容院に出向いた。

 1000円カットの安い店だったけれど、伸ばしっぱなしの髪を、ショートボブに切り揃えてもらった。

 ずっとショートカットにしてみたかったけれど、ショートは痩せている人しかしてはいけないのだと決めつけて尻込みしていた。

 同時に、GUでこれまたお安い服を買った。こちらも、デブが着るもんじゃないと禁止していた、明るい色の服にした。

 長年、いろんなことを自分から取り上げてきた。

 太っていて、顔も醜い自分には、何かを与えられる価値がないからと。

 その呪縛がようやく、雪解けのように解放されていった。

 髪を切り、新しい服を買った自分が、ショッピングモールの色んな鏡やショーウィンドウに映る度に見た。見たかった。

 髪型も服も、自分に似合っていると感じた。嬉しい。
 嬉しい事が、また嬉しい。

 シャットアウトされていた自分との交流が再開され、私は不思議なほどに満たされた。

 もう寂しくはなかった。

 そこに孤独はなかった。



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