*『私』とのお喋り ➁
それでもしばらく、すぐにへこたれては、まとめサイトを訪問して、経験談や方法を読み漁ることを繰り返した。
自分の心が動く言葉は、ノートにメモしたり印刷したりして、心が折れそうな時に、いつでも見られるようにした。
そうして少しずつ、少しずつ、自分の内部に向き合っていった。
醜い、卑しいところも山ほどあった。
浅はかで、軽蔑されるところも。
けれど同時に、ずっと、助けを求めていた声もあった。
幸せになりたいと、泣いている声もあった。
心は、ようやく私が振り向いてくれたことに喜び、生気を取り戻し始める。
段々と、自分と向き合うということは、自分にただ寄り添ってあげることなのだと分かってきた。
ウジウジと泣きごとを言っている自分にも、ビッグマウスを叩いている自分にも。
何かを恐いという自分にも、あれが欲しいという自分にも。
ただその声を聴くだけでいい。
解決策を探る必要もない。
そうするうちに、本当の自分の願いが見えてきた。
私に必要だったのは、本当に欲しいと思っていたのは、拒食でいられる意志やガリガリの体でも、ずっとひきこもっていられる巨万の富でも、美しい容姿や称賛される才能でもなかった。
ましてや、死や消失では、微塵もなかった。
私はただ、自分に好かれたかった。
可愛がってもらいたかったし、励ましてほしかった。
どんなに周りから否定されても、「そんなことないよ」「素敵だよ」と、どこまでも自分の味方でいてほしかった。
私はそのどれ1つも、してあげてこなかった。
どころか、自分の1番の敵で、1番の攻撃手だった。
私はずっと、逃げたくて逃げたくて堪らなかった。
環境を一新したり、自分の体型を変えることで、逃げられた気がしていた。
だけれど、私が逃げたかったのは、環境や体型からではなく、自分自身からだったのだ。
24時間365日、自分を否定して、罵倒し続ける自分自身から、逃げ出したかった。
自分を認めてくれる誰かの許に行きたかったのだ。
どんなに環境を変えても、体型を変えても、私が救われなかった理由は、そこなのだ。
そう気付くと、私は自分に精一杯、謝った。
そして、『自分を好きだと言いたい』という、思ってもみなかった願望に驚きながらも、これからはそれを全力で叶えようと決意した。
声に出すのはさすがに恥ずかしいし不審なので、ノートに書いたり、心の中で自分に語り掛けるように何度も『大好きだよ』『あなたは価値があるよ』と唱えた。
はっきりと覚えてはいないが、そんなことを2か月くらいは続けたと思う。
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