*広がる世界 ③

 

 潜在意識といった分野との付き合い方も、徐々に変わっていった。

 

 これまではずっと、それらの知識は【必殺技】だった。

 

 それを使えば、奇跡も起こせるというような認識で、最後の砦だと縋っていた。

 

 けれど今は、潜在意識とは自分をよく知り、整えるためのものだと感じている。

 

 自分が整えば、自然と人生もスムーズに流れていく。

 

 今までなら怖気づいていた場所にも、喜んで飛び込んでいける。

 

 ただ楽しく、素直に暮らしているだけで、新しい扉が次々と開いていく。

 

 日常から非日常にワープすることを期待してきたが、望んでいるものはいつでも、日常の中に溢れていて、ただそれに気が付いていなかっただけ、見ようとしなかっただけだと気が付いた。

 

 お金も、人間関係も、仕事も、体型や性格のことも、物質として目に見えていなくとも、必ず望んだ形がそこにはあり続けている。だから、それを見ると決めれば、見え始める。

 

 今までは、望みを手に入れる為に、例えば成功している場面をイメージしたり、あるいは必要に思える知識を身に着けようとしてきた。

 

 けれど、私たちのベース、基盤は、いつでも幸福であり、完璧であり、成功で、楽しいものなのだ。

 

 知識で知ってきたことを、最近ようやく、体感として腑に落ちて来た。

 

 嫌なことが起こった時、「自分が潜在意識を上手く使えていないからだ」と自己否定したり、「今度こそは完璧にする」と力んで、その実、まだ手に入っていないという渇望感を強めていった。

 

 それが今は、「嫌だ」と感じた時、「この嫌だという感覚が嘘なんだ」と思うようになった。

 

 嫌悪感、罪悪感、不快感、不安、退屈、恐れ、不満……。

 

 そういうものに散々呑まれ、それらを解消する為に理想を追い求めた。

 

 しかし、幸せがベースというのが本当で、それを曇らせて見せなくさせているのが嫌悪感や不安なら、それらに気付き、「これは嘘なんだ」と気が付くだけで、それ以上の苦しみは生まれない。

 

 反射的に嫌悪感などが浮かぶのは正常だが、それをいつまでも引きずって、こねくり回して、何か巨大な問題に変えてしまうのが、これまでの営みだった。

 

 今は、それらの感情を拒絶したり抑えつけることはせず、だけれど鵜呑みにもせず、「あ、これは嘘だった」とただ認めるだけだ。

 

 そうするだけで驚くほど、日常が楽になった。

 悩むこと、迷うことも減った。 

 

 いつでも身軽で、暗い思考にはまってもすぐに気が付き距離を取れるので、ズドンと落ち込んだり、いつまでも気にするようなことがなくなった。

 

 なんだこれだけで良かったのだと、今は拍子抜けしている。

 

 元々が幸せであり理想なのだから、それらを否定している、見えなくしている要素を、ただ嘘だと宣言するだけで良かったのだ。

 

 そうすれば日常は勝手に、本来の姿として目に映るようになる。

 

 なんの問題も起きていない、まったくの平和な日常だ。

 

 ひきこもりから抜け出したときは、自分を完璧、優れていると認定するところから始まった。

 

 自分を褒めて褒めて、認めまくった。

 

 それは効果があったけれど、どこかで、ダメな自分、何かができない自分を必死で見ないようにしているところがあった。そういう自分から目を逸らしたかった。

 

 今は、別に能力がなくたって、それでいいと思えるようになった。

 

 何かができる、できないで自分の価値が変動しなくなった。

 

 ダメダメな自分でも、幸せで良い。

 たとえ優れた点が1つもなくても、それでいい。

 

 欠点や失敗が怖くなくなり、今まで恥ずかしいと思っていた場面でも、羞恥心が薄れて来た。

 

 自分のことを、自然と良いと思えたら、褒めたり喜んだりする。

 なにか失敗しても、そんな自分を受け入れる。

 

 日常の中で、肩肘はることなく、何かの型にはめるでもなく、普通に落ち込み、普通に喜ぶ。

 

 そんな当たり前に、自然に、ありのままで生きることが、ようやく出来るようになってきた。

 

 ひきこもりから抜け出して、4年ほど。

 

 長いようで、本当に短い、大切な時間だった。

 

 これからの人生の展開を、自分が一番、楽しみにしている。

 

 

第二章 おわり。

⇒第三章は、また未来に書きます★
ここまでお読みいただき、お付き合いいただき、本当にありがとうございました!

 

 

 

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*広がる世界 ➁

 

 自分のやりたいことについても、改めて考えるようになった。

 

 自分には人と関わることは向いていない、なるべく1人で籠ってできるような仕事がしたいと、ずっと思い続けて来た。

 だけれど、絶対にできない、嫌だと思っていた接客業に慣れてしまった。

 

 そんな自分に驚くと共に、日常の人との関りを楽しいと感じ始める自分にも気が付いた。

 

 それはお客さんとの関わりであったり、一緒に働く人たちの関りでもあった。

 

 末っ子で昔から周りに面倒を見てもらって来た自分は、年下の人と接するのが苦手だった。

 

 けれど、学生さんや小さな子どもたちと接するうちに、自然と話せるようになっていった。

 

 苦手だったのは、年上だからしっかりしなければ、恥ずかしくないように振る舞わなければと思っていたからで、だけれど実際は、全然そんなことはなく、相手が年下でも年上でも関係なく、分からないことは分からないと良い、一緒に迷ったり、教えてもらったり、それで良いのだと理解していった。

 

 毎日、何気ない会話を交わしたり、面白いことを共有したりするのが、単純にとても楽しかった。知らないことをたくさん知った。

 

 そんな中で、以前は作家だけがしたいと思っていた夢が、人前で話したり、情報を共有する仕事も楽しそうだと感じ始めた。

 

 講演というガラではないので、もっと気さくに、自分の経験や気持ちをシェアするトークショーのような場で話せたら、きっと楽しいだろうと思ったのだ。

 

 事業所や個人での相談業務をやってみて、自分は誰かに寄り添うのは苦手だと知った。

 

 だけれど、一方的に話すだけなら、それは出来そうだし、面白そうだった。

 

 自分の話したいことを話して、けれどそれが、どこかの誰かにとって響く言葉だったら、どんなにいいだろうと思う。

 

 昔のように、誰かに意見や行動を押し付けるのではなく、ついて来たい人だけが、自分のペースで、自分の好きなところだけを拾って進んで行くような手伝いがしたい。

 

 書くことは元々好きだったが、話すことの楽しさも、人と接するうちに学んでいった。

 

 嫌だ嫌だと言いながら、またパートを始めて、本当に良かったと思う。

 

 そういう新しい視点を得られたから。

 

 パートを再開したきっかけは、支払いが足りないと気付いたからだと先に書いたが、後から数えてみたら、意味不明な計算間違いをしていただけで、お金はきちんと足りたのだ。

 

 でも、その時に計算間違いをしていなかったら、私は鬱鬱としたところから抜けきれなかったと思う。

 

 その時に仕事を探したからこそ、今の職場に来れた。

 そして色々なことを知り、学んだ。楽しんだ。


 やっぱり人生は、何か大きなものによって動かされているのだなあと、ぼんやりと思うのだ。
 

 

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*広がる世界 ①

 私は再び、潜在意識関連のサイトを訪れるようになり、書籍も相変わらず図書館にお世話になりながら読み返した。

 

 過去に訪れていた時には知らなかった書き込みや作家の本が、自然と目に飛び込んでくるようになった。

 

 その文章や言葉はどれもに、私はハッとさせられた。

 

 知識としては嫌と言うほど知っていても、実践していないことはたくさんあった。

 

 それはつまり、それらの情報を、心の底から信じてはいなかったからだ。

 

 そういうこともあるかもしれないけれど、きっと自分には起こらないだろう。

 

 そんな風に、ずっと疑っていた証拠だった。

 

 口では、表面上では、信じていると言いながら、その実、私はまったく世界や自分を信頼していなかった。

 

 自分がきちんとしていなければ、すぐに悪いもので満たされてしまう、頼りなく無慈悲な存在なのだと思っていたのだ。

 

 そのことにようやく気付いて、私は今度こそ、本気で生きようと思った。

 

 自分が救われた世界観を、もう一度、本当に受け入れて生きていこうと。

 

 気まぐれで、その日に起こったいいことをスマホのメモ機能で記録したりもした。

 

 嬉しかったこと、楽しかったこと、ありがたかったこと、思いもしなかったこと。

 

 どんな些細なことでもメモしているうちに、日常の当たり前が、いかに自分を満たしてくれているのか、その当たり前が延々と続いてきたことが、いかに奇跡的だったのかを自覚せずにはいられなかった。

 

 3か月くらいでメモは取らなくなり、たまに記憶に残ることがあれば書き込む程度にはなったが、それはいいことが無くなったからではなく、本当に些細なことまでに幸せやありがたみを感じるようになり、書くのが追いつかなくなったからだ。

 

 段々と、自分の運の良さを、口先だけではなく、実感として理解するようになった。

 

 仕事が続かないことがコンプレックスだったが、振り返ってみれば、興味のあった職種はすべて経験できたし、一時期とはいえ憧れの専業主婦にまでなれた(笑)。

 

 そもそも、ほぼまったく働いていない数年間、私は飢えもせず、家があり、冷暖房があり、お菓子まで食べて、贅沢に暮らしていた。

 

 もちろんそれは両親の庇護あってのことだったが、今から思えば、遊んで暮らしていたあの時期は、なんて幸せで恵まれていたのだろうと、心の底から思うようになった。

 

 それに比べて今が不幸だとは思わないが、逆に、ひきこもり時代の自分が今と比べて不幸なわけではなかったのだ。

 

 いついかなる時も、私はずっと幸せで、ろくに働いていないのに一度も飢えたことなどなく、そばにはずっと、私を大事に想ってくれる人達がいてくれた。

 

 ひきこもりの時もそうだったが、どんなに恵まれていても、自分が否定しまえば、不幸のどん底だと思い違うことがいくらでもできるのだ。

 

 そういう意味でも、やっぱり世界は自分の視点が作っているのだと、認めざるを得ない。

 
 

 

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*顔を上げる ④

 慣れない接客のパートで、ガチガチになり、ミスをする自分もいた。

 そつなくこなせない自分が恥ずかしくて、顔が真っ赤になることも多々あった。

 そんな自分を、変えよう、変えようと思って来た人生だった。

 いつもスマートで、自信にあふれ、テキパキとなんでもこなす。

 そんな風になれれば、もう二度と惨めな気分にならなくて済む。恥もかかないし、人から馬鹿にされることもない。

 だから、そうなりたい。
 
 今のままの自分でいいんだと言いながら、心のどこかでずっと、そんな風に思い続けて来たことに気付いた。

 誰かより優れていて、誰にも文句を言わせない、誰もかれもを見返せる、そんな自分になりたかったのだ。

 けれど、ずっと、自分を『惨め』だと決めつけていたのは、自分自身だった。

 誰も何も言わなくても、自分から進んで、自分がいかに劣っているかを語っていた。

 それはただの謙遜なのだと、ずっと自分に言い聞かせて来た。

 だけれどそれは、本心だったのだ。

 自分は劣っていると決めつけていて、誰かに馬鹿にされる、軽んじられる、恥ずかしい存在だと思っていた。

 パートで、収入が少なくて、仕事をコロコロと替え、学歴もなく、必要なものでも買えないこともあった。

 何もなくても平気なのだと、自分は欲がないのだと、あるいは、自分は劣っているから、この境遇は当たり前なのだと、強がってきた。

 だけど、本当は、自分という存在をありのままに、全開にして、人生を生きたかった。

 そのままの自分を取り繕うことなく、堂々と人前で披露したかった。

 ひきこもりから脱し、働いて、1人暮らしをして、おおよそ標準体重の体型になって、恋愛をして、結婚し、幸せに毎日を暮らしている。

 その要素1つ1つが、自分を『普通』に押し上げてくれるものだと思っていた。

 1つ1つを手にするたびに、「これで恥をかかなくて済む」と保証が増えて安心していった。

 それらを得た自分は、以前の、肥満で、ひきこもっていて、誰とも関わらない自分より、ずっとずっと価値のある存在だと、どこかで疑いようもなく思っていた。

 以前とはまったく違う私なんだと、確信していた。

 だけれど、そういう武装を取り払って、すっかり蓋を開けてしまうと、そこにいた私はひきこもりの時と何も変わっていなかった。

 相変わらず、自分を何かの要素で飾り立て、守ろうとしていた。

 世界には敵がたくさんいて、辛い、理不尽な出来事が溢れ、だから自分は強くなり、それらと戦い、身を守らなければいけないと信じていた。

 そうして闘い続け、疲れると、泣いたり暴れたりして、また束の間の成長や気力を得た気になり、また闘い始めた。

 ずっと、同じことをし続けていたことに、この時ようやく気が付いた。

 そして、そんな闘いに自分が心底疲れている、飽き飽きしていることにも。

 ひきこもりから抜け出す時、私がすべきことは、自分を受け入れるというたった1つのことだった。

 そうして今、私がすべきことは、世界を、自分を信頼し、彼らに対して無防備になることに違いなかった。
 

 

 

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*顔を上げる ③

 

 それならば、同じ目線で書こうと、決めた。

 そして同じ目線だと思ってもらう為には、劇的にダメダメだった、人並みとすら言えなかった自分について、知ってもらうのが一番だと感じた。

 どん底だった時の私が何を感じ、何を考え、そこから抜け出すためにどう変わったのか。

 世の中に出てからは、どんな風に生きて来たのか。

 そして今は、どんなことを思いながら生きているのか。

 そういった一切合切を、自分なりの表現で記していこうと思ったのだ。

『もう何もかも分かり切っている自分』としてではなく、『今もなお迷いながら、それでも幸せに生きている自分』として。

 そんな自分なら、対等に誰かに言葉を届け、その言葉を気に入った人たちが少しでも気分よく、少しでも気楽に過ごせるなら、それでいいと思った。

 誰かに恩返ししたい、有名になりたい、お金を稼いで執筆や好きなことだけをして生きていきたい。

 そんな想いは未だにあったが、だけれどそういう細々としたものに、『書きたい』という今の純粋な衝動を邪魔されたくはなかった。

 それらを消そうとはせず、そのままにしたまま、けれど指と頭は望むままに動かした。

 次々浮かんでくることを、整理しようとはせず、ただ流れに任せて書き始めた。

 当時のことを思い出すと、その時の心境に同調して、泣きながら書くことも日常茶飯事だった。

 書けば書くほど、改めて、自分が今こうして生きて、幸せに生きていることが奇跡のように感じられる。

 うじうじと愚痴ばかり零していたここ数年は、何を書くにも自信がなかった。

 潜在意識というツールを知りながら、億万長者にもなっていない、著名人にもなっていない、寧ろ人よりも収入がない自分を、惨めに思っていた。

 好きなことをすると決意しては、すぐに投げ出してしまう自分。

 不安になって、夫に八つ当たりして振り回す自分。

 そんな自分が、何を語れるのだろうと、自分自身に落胆した。

 だけれど、過去のことを掘り起こして記すうちに、そんな自分だから書けることがあるのだと気付いた。

 何でも器用にこなせてしまう人、成功している人、器が大きくて何にも動じない人。

 その人たちが書くものが、私には書けないように。

 そういう人たちには書けないものが、自分には書けるのだと知った。

 そしてそこに優劣はなく、ただあるのはかけがえのない個性だけだと。

 

 

 

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