【料理は生業?2】2022.6.22 | La vita è breve

La vita è breve

埼玉出身元トラック運転手。27歳で渡伊して料理人に転向。てんやわんやの末、東京フレンチ、医療の現場を経て大分へ移住。このブログは、37ちゃいのワタシがシチリア島で再出発する所から始まる壮大なストーリー。54ちゃいの今、更にてんやわんやである。

たましいピカピカ大作戦にまつわるfacebook投稿過去編の転載です🤗💫


【料理は生業?2】

昨日の投稿から続きます🤗

初めて自分のお店を持って、オープンのドタバタから少し落ち着いた頃。
店内は一組のカップルのみで、お食事を出してしばらく経った頃、なんだかそのお2人がザワザワし出したんです。
内心、何か粗相があったのかとドキドキしたんですが、

「ああ、貴方がシェフですか?」と、女性シェフだった事に驚かれたのか、食い入るようにこちらを見たんですよ。

そして男性がこう話してくれました。

 実は数ヶ月前、脳溢血で倒れて死の境を彷徨いました。奇跡的に意識を取り戻し、医師が驚くほどのスピードで回復したのですが、味覚障害だけがどうしても治らなくて。
自分は食べる事が大好きだったので、倒れてからずっと絶望感を味わうばかりでした。
それが、このパスタを食べた瞬間に、蘇ったんです!
信じられない!

と。

 
そのパスタは、アサリだったかシャコだったかの甲殻類と、
光輪農園で野草化したルッコラの花でした。

🌸🌸

話は遡り、
2008年、大分に来たばかりのワタシと光輪農園との出逢いは衝撃的でした。

トーキョーでドクターズレストランの開業を2件立て続けに料理長として関わり、
「マスコミも西洋医学も人を健康にはしない」
と絶望し、
料理人としての原点であるシチリア島で再出発を計り、

またまた舞い込んだ大分市のドクターズレストラン開業案件。

イタリア滞在から帰国して直後、今度こそはと乗り込んだ大分市戸次に、
「光輪農園」はありました。

光輪農園を経営する藤井さんは、
自然農家さんあるあるのwちょっと偏屈なオヤジでした。

藤井さんは元バリバリ製薬会社の営業マン。
薬を売って売って売りまくって、バブルの時代を駆け抜けた人でした。
ある事をきっかけに「薬ではなく野菜で病気の人を治したい」という強い思いにかられて脱サラ。
全くの素人から無農薬の野菜を作り始めた人でした。

「運命の人と出会ったな」
そんな風に思った記憶があります。
あ、最初は変わった人だなぁと思っただけなので、少し経ってからの話ですけどw

その後、レストランのオープン前にワタシが夜逃げしました。
今度こそ、と思ったドクターズレストランは、
やっぱり人を健康にする仕事ではありませんでした。

オープンに間に合わせるように植えたルッコラは収穫される事なく種を落とし、
次の年もまた次の年も野生の様に育ちました。

🌸🌸

そして、やっと日の目を見たそのルッコラの子孫達が、
脳溢血で失った彼の味覚を呼び戻したのです。

泣くやろ。
泣いたわ。


🐉🐉


それでは今日もご多幸で🤗❤️
ブォナジョルナータ🤗❤️

#料理人
#ドクターズレストラン
#光輪農園