フィレンツェへの旅 偶然の再会編 | La vita è breve

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埼玉出身元トラック運転手。27歳で渡伊して料理人に転向。てんやわんやの末、東京フレンチ、医療の現場を経て大分へ移住。このブログは、37ちゃいのワタシがシチリア島で再出発する所から始まる壮大なストーリー。54ちゃいの今、更にてんやわんやである。



今日は朝からフィレンツェ散策。




義務的な感じで、ドゥオーモ到着。






ほーう。何度見ても壮観だ。





















・・・・・・?


なんか、視線を感じる・・・・。






!!



ポール!!


ポールじゃないか!!??




なんと、ミラッツォの学校で一緒だった、オーストラリア人のポールがそこに立っていた!!






 


6月、


ニコルと別れ、試験も終わった頃、


なんとなくつまらない日々が続いていた。




そんなときに入学してきたのがポールだ。




おばあちゃんがミラッツォ出身で、イタリア選挙権も持つポール。


大好きなイタリア料理の勉強をするための来伊だった。


9月からは、フィレンツェの料理学校へ通う。




同じ道を歩むモノ同士、仲良く、、、、




っと思いきや、




彼の知っているイタリア語は




“はい”





“いいえ”





“ありがとう”




のみ。






ニコルのいた頃は、


学生同士の公用語がイタリア語であった。


当然である。





おまけに平均して語学レベルが高かった。




ところが、ポールの入学後、


公用語が、英語と化す。


ドクロ



オーストラリアの気候が育んだのか、


屈託のない彼が、英語で通したからである。




もちろん、私はイタリア語のみ。




ポール:OH、エミコ、ナンデエイゴ、ワカンナイ!?頭ワルイノカ?(英語)


┐( ̄ヘ ̄)┌



私:あ!? 今、ここで必要ねぇからに決まってんだろ!!むかっ(イタリア語)




こんな言い争いは毎日。




だからといって、仲が悪かったわけではない。




英語と、イタリア語でも、料理の話はできる。


手打ちパスタ、ラグーの基本など、何度か教えた。



















一緒に飲みにも行った。ビール


カラオケにも行った。カラオケ












ロンドンから一時シチリアに帰宅したとき、




“エミコ!フィレ肉買ッタンダ!焼キ加減教エテクレヨ!!”(まだ英語)




うれしかった。




シチリア最後のランチを彼ととった。


フィレ肉もおいしかった。















で、フィレンツェ。




彼がこの街にいるであろうとは思っていた。


彼も私がこの時期来ることは知っていた。




が、本当に偶然だった。







今日から始まる学校へ行く途中だと言う。





英語も混じるが、イタリア語を話そうとする。


少しは上達したようだ。




あまり時間がない。


学校へ行かなければならない。




がっつりとハグを交わし、


お互いの成功を祈る。




“IN BOCCA AL LUPO !!!”





“CREPI !!!!“









ポール!!




がんばれよ!!!