役職とは。

過日、末の兄のオーダーにより、海自の方に艦長のイントネーションを確認していた時に伺って、ハッとしたことがある。

「我々、艦の名前が役職に付きます。苗字に役職が付くことは、まずないです」

護衛艦あたごの艦長なら、

「あたご艦長」

あたごの機関士長なら、

「あたご機関士長」

と、呼び掛けるのだそうだ。
なんだか清々しい気持ちになった。
そう。
役職は、個人が受けた栄誉ではない。
組織の要職を担う責務を負ったことを表明し、意識付けるために与えられたものだ。

例えば、私は小林だが、

「小林部長!」

と、呼び掛けられたら、部外者からは、

「ハイハイ。部長サマですが、エライですねー」

と、なるだけだろう。
少なくとも、甚だ嫌らしいが、私がコンサルとして苗字を覚えるのは、会社役員以上からである。

「⚪︎⚫︎商事の営業部長様」

法人間の認識は、役職=職務全うする責任者でしかない。
個人がエライ訳でも、個人に価値がある訳でもない。
個人が変わっても、その役職は残る。
役職は、個人のものではない。

敬意を払ってご紹介する時は、

「⚪︎⚫︎商事営業本部長▲△様」

等と、フルに呼称する。

この地位を得た、優秀(であろう)な個人。

そう正式に紹介されるのは、年の内何回であろうか?
苗字に役職をくっつけるのは、日本らしいかもしれないが、年功序列は崩壊し、役職が必ずしも年収を保証するものではない。
仮初めの役職を名前に付けて呼ばせることで気持ち良くなるなら、その役職で終わりだ。
サラリーマン人生終わったらただの人なのに、役職に踏ん反り返っていた臭いが染み付いて、胸糞悪いジジイ、ババアになる人が多い。

ダサい。

と、昔から思っていたので、

「我々、艦の名前が役職に付きます。苗字に役職が付くことはないです」

この言葉に、清廉さを感じたのだ。
彼らは、上に行けば行くほど、隊員の命を左右する責務を負う。
民間企業も同じだが、もっとダイレクトに、命を危険に晒すことがあるのが、彼らの仕事であり、役付の仕事だ。

階級の重みと役職の重み。
それは、国と国民と隊員の命を預かる重み。

だからこそかと、民間のさもしさに気付いてしまって恥ずかしくなった。

役職を得るのは重要である。
しかし、そこに踏ん反り返って役職名をアピールするのはダサくて恥ずかしい。
そして、そこで昇進打ち止めを公言しているようなものだ。

会社あっての自分をアピールするのは、対外交渉の際だけで良いのではないかと、改めて思った。

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“奇策”とは、“常套手段”や“慣例”をつぶさに見て咀嚼し、その隙を縫う方策に過ぎない。
だから、それを成功事例と把握しなかった。
戦略とは、単なる手段でしかない。
手段に振り回されなかった好例なる人物。

しかし、非凡なる才知に長けた効率の良い価値判断により、凡夫の情への理解を怠ったことが、彼を短命にした。
凡夫に理解を求める女房役が欲しかったところだろう。

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就活生の皆さんへ。

200字詰めの原稿用紙に買おう。

200字詰めの原稿用紙一枚に、自分の言いたいことをまとめてみよう。

200字詰めの原稿用紙一枚は、丸暗記して、卒なく喋れる容量。

200字詰めの原稿用紙一枚は、たどたどしいセールストークを、読んで、聞いていられる許容量。

「おまえの言ってること、わかんねーよ」

そう言われたら、利用してみよう。
肥大化した加飾の自分を削ぎ落とす訓練になる。
エントリーシートのコメント対応になる。

メールやレポートで、学生は書けるつもりになっているが、のべつ幕無しの垂れ流しの“ダベリ”と、“伝える気持ちの集約”の文書化は、全く別物である。

社会人にも云える。
垂れ流しの日常を、200字詰めの原稿用紙で整理してみよう。

キチンと書いて
キチンと語れる

案外、出来ていないものである。

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外国の方と話をすると、とてもシンプルに『自分』が見える。

アナタハ誰デスカ?
アナタハナンノ権限ガアリマスカ?
アナタハ誰デスカ?
アナタハ何ガデキマスカ?
アナタハ誰デスカ?

海外のエグゼクティブにとって、会社の看板や地位は、要求を通すために叩いたドアの形状に過ぎない。
彼には終身雇用の概念がない。
力一つで職場を渡って行くプロフェッショナルと会わなければ、時間の無駄である。
会ったその人がキーマンとなり、移った先でも関係が築けるかどうか。
必要なのはその人の人間力。
そして、

私はナニモノです。

と、応えられる個の確立。
資格も看板も、アイテムに過ぎない。
アイテムで武装する人間は、駒にしか見られない。

アイテムを生かす能力こそ、必要なのである。
そして、その能力の活かす場所を誤まらず求めて行く貪欲さが、必要なのである。

手段に踊らされてはならない。
生きて行くのに必要なのは、

求め、求められる、相互関係である。

それは感性や機微と表現できるものであり、学ぶより、育てるものである。

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「一肌脱いで、やろうじゃないか」

そう思っているけれど、なかなかそうした人は悲鳴を上げない。
だから、いつ何時でも、エマージェンシーコールには対応出来るようにしたい。
持ち得る限りの、時間と知恵とネットワークで、対応したい、
その為に努力し続けたい、

何かあったら、一肌脱がせて貰いたいと思える人が周りにいるって、しかも、年齢問わないし、若い方も多くなってきたって、かなり恵まれた人間環境。
結構私、いい歳の重ね方をしていると、自画自賛してもお許し頂けるだろうかw

「ごめん。おばちゃん、わかんないやー_| ̄|○」
「いいんですよ。そーゆーことする為に、私達が育ってきてるんですから」

こう言われた時に、私は、私らしからぬ言葉を使えば、

胸キュン

したw

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