Veuve Clicquot

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ご招待頂き、先月、関東で10名強のプレゼンテーションパーティにお邪魔しました。


醸造責任者の来日で、彼がフランス語と英語で、ブランドを、ワインを語ります。

特別のゲスト。
特別のメニュー。
特別のラインナップ。
特別の景観。

贅沢なひと時でした。

その中で生産者が、仕立ての良いスーツと、洗練された所作と声音で、ゲストと会話を楽しみます。

どういったシーンで、自分達のワインを楽しんで貰いたいのか。

そのステイタスに、ブランドを語る者として立つに相応しい作り手。

普段、作業着で畑をカーブを歩き回り、天候と戦い、汗水流しても、然るべき時に然るべき装いと振る舞いが出来るのは、ブランドの体現者として、作り手こそが主役であり、熟知しているからでしょう。

日本ワインの振興に必要なのは、こうした晴れの席を、こうした金額と装いを当たり前に嗜む人に向けてのプレゼンテーションでしょう。

価値を品格で醸す。

だからこそのブランドと、好事家は支持する。
だからこそ、ブランドとして維持できる。

veuve
寡婦

クリコ家の未亡人が、嫁いだ家を盛り立てたのが、

Veuve Clicquot

愛のシャンパンである。

女性を誇る時に送りたいシャンパンであると、改めて思った。

酒には、歴史や思いがある。
そうした時間を堪能できる酒を嗜みたいと、常々思う。





追記:この日の通訳者の方が、素晴らしい方で、久々にグレードの高い通訳を楽しむことができました。
機会があれば、この方を是非と心に決めたくらい。
ただ喋れるだけでは仕事にならないと、専門性の高いプロのプライドを顕示した方でした。
こうした人材を起用するのも、ブランドをイメージ付けるのに大切ですね。



「目黒のさんま祭り」宮古のサンマ7000匹を振る舞う

http://www.huffingtonpost.jp/2014/09/07/meguro-sanma_n_5779258.html#


『目黒の秋刀魚基金』


なぞ、創設して、復興支援金作りに、一匹100円でも200円でも、売ってくれないかなぁ。

そうしたら、敢えて食べに行くのになぁ。


松本楼のカレーを、当時の価格でって時もそうなのだけれど、無料や格安に釣られて並ぶのが、スゴく嫌なのね。

昔、インタビューで、恥も知らずに、


「タダだから来た」

「ジャリ銭で済むから」


って口にする輩がいて、吐きそうになった。

配給待っている貧困者みたいな自分を想像して、吐き気がした。

昨今、こんな馬鹿げた発言を、流さなくなったけれど、松本楼が、震災後のイベントで、売り上げを義捐金とした箱の中に、明らかに昔の値段しか払ってない人達が多数いた。</span>

とても貧しいと思った。


ジュース買うお金で、秋刀魚一匹食べられたら、街中イベントとしてアリぢゃない?


実際、まだまだ復興にはお金がかかるのだから。


基金と銘打って、人が逃げるイベントじゃないでしょう?

古典落語愛好者総動員して、各大学の落研総動員して、華を作れるイベントでしょう?


なんかね、そーゆー事を、オシャレに出来るのが、目黒じゃないの?

そーゆー事を、して欲しいなって、思うんですよ。


なんかね、なんかね、切ないんだよね。


難病の子供ひとりと多数の患者、どちらを救う? 岐路に立たされた医師がとった決断とは | ログミー[o_O]

http://logmi.jp/21033



覚悟


は、あらゆることに通じる。

私は、分不相応に、若い頃、大義を手にする人達の中で育った。
その人達は、叩き上げではなく、何代も大義の為に国や業界の中枢にいた人達で、スケール感の大きさに打ちのめされたし、自分の卑小さを恥もした。

でも、本物の“エリート”は、想像力がある。

この小事で躓けば、大義の足枷になる。

小事の積み重ねが、大義や大禍になる。

目の前の小事を疎かにしてはならない。

と、想像し、想定し、対応する人達である。
無意識の内に。
だから、彼らは、小事の内容次第では、象が蟻を踏み潰すこともする一方で、何故にそこまで神経を使ってケアをするのかと云う働き掛けをする。

大事の前の小事

大人物ほど、目の前のことを丁寧になす。
だから、人に恵まれる。
この医師のように。


私は、コンサルとして人前に立つ時、イヤらしい話だが、人を試す。
その人の扱っている仕事のミニマムで、手を触れなくても良い案件を、わざわざ、考えてくれないかと云う。
その人には、特に直近のメリットはない。
が、果たせた時、

大局から小事を救うことが出来る

と云う自信と結果と看板を得られる内容を口にする。
幅広く仕事を、業種を問わずに、必要とされる人財になれる人は、それに取り組む。
が、会社の規模だけで、着手するロットが大きかっただけに過ぎないのに、大きな仕事をしてきたと鼻息の荒い小物は、

「マスの違った話をしないでくれ」

と、削いでしまう。
ミドルマネジメントクラスになって、余裕のないにも程が有ると呆れ、専門馬鹿で、会社の看板がなくなった時の生きる道に迷う甲斐性無しだなと、痛々しく感じる。

人材として
駒で終わるか
人財として
自分の人生を
人と対価で潤せるか

目の前の命に差し伸べる手に、空手形と机上の空論が役に立たないことを、私達は幾度かの災害で知った筈だ。
身内を亡くしたり、病に犯されて苦しむ人に、手ブラで寄り添っても役に立たないこともある。


目の前の小事を看過しない


小事に囚われることではなく、大事の前の小事として、遺恨に悔恨にならぬよう、丁寧に生きたい。


覚悟を持って、ことを視たい、ことを考えたいと、改めて考えさせられた。