広島や長崎出身の、知人友人や、その親御さんや、当時、人足として招集されてきた日本人以外の国の人達へと思いを馳せる、原爆投下の両日。
子供時代、アメリカによる空襲や原爆投下で、日本人の同胞は傷付き、命を落とし、後遺症や遺伝の中で苦しんでいるのに、日本人は、なんでアメリカに擦り寄るんだろうと、不思議に思っていた。
かと云って、憎しみを向けるものではないと考えていた。
まだ露骨に差別的発言を悪気なく口にしていた子供の頃、朝鮮や中国の人達の商売の、裏書きの保証の脆弱さを飲み込みながら、手形を割っていた父の背中を見ていた。
父は昭和2年生まれ。
父親や男手の身内は戦死し、家族の温もりを知らずに育った。
その父は、若くして家を出て、身を起こすべく、東京や横浜で働いていた。
そうこうしている内に、事業に成功された人達との出逢いにより、引き立てられ、事業を興した。
努力する姿勢を讃え、期待し、応援してくれたのは、日本人や朝鮮、中国、アメリカ等、国や民族を超えた人達だったと。
憎んだり蔑んだりしても、何も生み出さないことを、戦中戦後を生き抜いてきた父の姿勢から、なんとなく感じていたのかもしれない。
戦争を語ることはなかった人だった。
だから、どうした人達が周りにいたのかを見、話してくれる人から、父の、差別をしない姿勢の一端を垣間見るしかなかったのだけれど。
怒りはある。
原爆投下したアメリカへ、怒りはある。
原爆投下に至るまでにアメリカを追い詰めた、当時の日本政府と軍部への怒りはある。
だから、二度と過ちを犯さないで欲しいと、見逃すまいと、時事や、それに纏わるものを、学ぼうと思う。
怒りで目を眩ませないように。
憎しみで判断を違えないように。
怒りと憎しみを、怨みに変えて、時代の変化を、人を、見誤らないように。
あなたが好き
そう伝えられる、友愛を向けられる人を得たい。
その“好き”は、国や民族を超えられる筈だから。
私は語学力が足りないから、言葉でコミニュケーションを円滑にすることは苦労するけれど、その分、国の歴史や文化を理解し、把握することを、国内外問わずに心掛けようと思ってきた。
少なくとも、禁忌に触れるマナー違反はしたくないし、すれば、失望されて信頼されない。
知る
識る
ことで、理解へと繋げたい。
好きな人の命を奪う悲劇は、決して起こしてはならない。
そう、平和の日に、思いを新たにする。