5.14 第三回Pastelaria五條の日本酒の会を開催します。
よろしければ、19:30からです。
お運びください(※ご一報くださいませ´∀`)
私が東日本大震災を、しつこく、事ある毎に取り上げるのは、別に偽善者になりたい訳でも、志が高い訳でもありません。
ただ、知って欲しい人が、人達がいるのです。
知って欲しい事実があるのです。
あの時、消防、警察、自衛官達は、間違いなく英雄でした。
でも、各地から参集してきた自衛官達がどう過ごしてきたか、『働き』は報道されても、『日常』は報道されなかった。
彼らが何週間、重労働の中、僅かな缶飯を、食事を、温めることもなく口にし、人員オーバーでベッドはなく、寝具も寝袋で、暖も取れない場所で就寝し、日々救援救助活動に奔走していた日々を知る人は少ない。
Pastelaria五條が、防人さん達と縁が深くなるきっかけを作ってくれた“彼”は、当時、旭川に転勤し、そこから岩手へ入った。
部隊を率い、自らヘリコプターのパイロットでもありながら、指揮官としての会議、自治体との交渉にも奔走する中、僅かな空き時間を使って、案じる私達のメールに「大丈夫」と答えてくれていた。
その中で、短くではあったけれど、垣間見えた彼らの『日常』。
鍛えた彼らでも、心身の限界点突破が早いだろうと容易に判る、犠牲的精神による任務遂行。
それを支えるはずの飯は、物資が不足し、缶飯一つであったりで、しかも、温めることもしない。
「被災者の皆さんの方が辛い思いをされているので」
彼は、彼らは、そう言い続けた。
東北は、まだ厳寒の季節だ。
その中で、水に浸かり、氷点下になる空中を飛び、死者や生者を救い出している彼らに、温かいものを口にしてはならないなんて、おかしい。
稼働力を維持する為にも、温め、栄養をとって貰わねば、倒れてしまう。
「おかしいよ、それ!」
「色々な目があるので。でも、我々は、こうした有事の為に訓練してきたので、大丈夫です」
大丈夫大丈夫云うなよ。
国は国民を守る義務があるんだよ。
国民を守ってくれる貴方がただって、国民なんだよ。
私たちと一緒なんだよ。
彼が昔云った言葉が蘇る。
「安心して眠ってください。私たちが護っていますから」
泣けてきた。
それを初めて聞いた時のように(https://www.facebook.com/notes/小林-惠実子/安心して眠って下さい私たちが護ってますから/332993626751446)
だったら、私たちが、ファミリーの彼に、気持ちを届けたっていいよな。
せっちゃんに、いつでもGO出来るように、クッキーを焼いて貰った。
作戦司令室で暖をとる、唯一の石油ストーブは、鍋が載せられるものだった。
カレーを作って、送ってあげようと思った。
常備品で在庫は赤飯はあるが、そんなものを不謹慎だと云う人もいるから、救援物資にも、自衛官の食事にもする訳にいかないから、ご飯も貴重品だった。
あれこれ詰め物を考えながら、毎日、郵便局とクロネコヤマトのホームページを見た。
ロジが復旧した方へ、荷物を逸早く配達してもらう為だった。
クロネコヤマトが、岩手県の、彼が着任した基地の住所へのロジスティックの復旧を告げてくれたのを見て取るや、迷惑にも送りつけた。
「国民の気持ちを、受け取れないってことはないよねぇ」
なんで脅すんだって感じだが、遠慮近憂の彼らに口を付けさせるには、これしかない。
「有難うございます。みんなで分けて頂きます。本当に感謝します」
気持ちしか送れなかった。
工場規模なら、もっと気の利いたことをしてあげられたろう。
でも、一介の個店では、既知の方に向ける程度のことしかできない。
それでも、僅かな気分転換になったらと、心だけは籠めた。
バイトの子に寄せ書きを書いて貰い、兄貴分のアニメーターには、応援のイラストも描いて貰った。
気分だけでも息を継いで、心を守って欲しかった。
ほんの一瞬でも、ふっと笑って欲しかった。
綺麗事ではない。
身内が頑張ってくれている。
そう思えたから、私達は女だけで店を護っていられたのだ。
余震や、品不足に耐えながら。
その彼に、日本酒の会を、僅かばかりの貢献だけれど、忘れてないよの気持ちを籠めて、東日本の日本酒を必ずメインとし、それだけだと重くなるから、日本各地のものも1対1でピックアップし、買い支えのきっかけとして貰おうと思うとの私の趣旨説明に、彼は喜んでくれた。
その彼に、2年経って、岩手を、その当時のことを、語れるものはありますか?と、尋ねた。ご迷惑にならない内容で、勿論結構ですので、2年経ったからこその一言を頂けないかとお願いした。
そして頂いた文面を、以下に転載します。
尊敬と敬愛と、友愛を向ける、得難い友の働きを、彼らの置かれた事実を、ご一緒に見詰めて下さい。
そこに、何かを感じて頂ける筈です。
天災は、教訓を与えてくれます。
大きすぎる犠牲と引き換えに。
それらを踏まえ、次は我が身と心得、今を生きたいものです。
死を、無駄にしないためにも。
>>>>>
東日本大震災・・・2年前の事ですが、今でも鮮明に記憶しております。
報道されているようなこともありますが、報道されていない事実もたくさんあります。
特に、隊員のメンタル。
被災地に派遣された隊員が現地で受けた衝撃もありますが、派遣されていない隊員、「留守部隊」で派遣されている隊員を支えていた者が感じた「惨めさ」は知られていないでしょう。
自衛官全員が、現地で活動したいと思っていたはずです。
しかし、全員が現地へ行ってしまえば、違う場所で災害が発生したとき、誰が対処するのでしょう。
また、派遣されている隊員の家族をサポートする者が居なければ、派遣されている隊員も任務に専念できません。
だから、後ろで支える「縁の下の力持ち」的な存在の者が重要なのです。
このことを理解させるのに指揮官として苦労しました。部下から訴えられたこともありました。
さらに、災害派遣は「敵のいない有事」です。
3月から4月にかけての東北は、冬から春に移行する気象的には非常に厳しい時期です。
特に風が強く、乱気流が発生し、飛行にはとても危険な状況が生起します。
訓練では、パイロットが「訓練中止」を決心すれば、隊長として了承します。
しかし、災害派遣はまさに「有事」なのです。
訓練のような気持ちでパイロットが「任務中止」を決心すれば、指揮官として再考を促します。
しかし、このことも理解してもらうことに苦労しました。
なかには、「飛行隊長は、頭がおかしい。」などと言う者もいました。
僕自身もパイロットになって20年経ちますが、現地で操縦中、乱気流で墜落しかけました。
本当に怖かったです。
だから、部下が飛行任務で離陸してから着陸するまで、気が気ではありませんでした。
あの災害派遣に飛行部隊の指揮官として派遣されてから、僕の人生に何らかの影響を与えたのは確かです。
それが良い方向なのか悪い方向なのか・・・・まだわかりませんが。
現地でご自宅を津波で失ったご老人から聞いた言葉です。
「ご先祖様の言うことを守っておけばよかった。」
このご老人は、ご先祖様からずっと言い伝えられていたこと
「低いところには家を建てるな」
を守らなかったことがいけなかったと言ってました。
人間は、楽をしたがる。漁師は船に乗るから、高いところに家を建てれば毎日昇り降りをするのが大変。
だから、低いところに家を建てたがる。しかし、建てた結果・・・。
日本酒の会のご成功を祈念しております。
それでは。
よろしければ、19:30からです。
お運びください(※ご一報くださいませ´∀`)
私が東日本大震災を、しつこく、事ある毎に取り上げるのは、別に偽善者になりたい訳でも、志が高い訳でもありません。
ただ、知って欲しい人が、人達がいるのです。
知って欲しい事実があるのです。
あの時、消防、警察、自衛官達は、間違いなく英雄でした。
でも、各地から参集してきた自衛官達がどう過ごしてきたか、『働き』は報道されても、『日常』は報道されなかった。
彼らが何週間、重労働の中、僅かな缶飯を、食事を、温めることもなく口にし、人員オーバーでベッドはなく、寝具も寝袋で、暖も取れない場所で就寝し、日々救援救助活動に奔走していた日々を知る人は少ない。
Pastelaria五條が、防人さん達と縁が深くなるきっかけを作ってくれた“彼”は、当時、旭川に転勤し、そこから岩手へ入った。
部隊を率い、自らヘリコプターのパイロットでもありながら、指揮官としての会議、自治体との交渉にも奔走する中、僅かな空き時間を使って、案じる私達のメールに「大丈夫」と答えてくれていた。
その中で、短くではあったけれど、垣間見えた彼らの『日常』。
鍛えた彼らでも、心身の限界点突破が早いだろうと容易に判る、犠牲的精神による任務遂行。
それを支えるはずの飯は、物資が不足し、缶飯一つであったりで、しかも、温めることもしない。
「被災者の皆さんの方が辛い思いをされているので」
彼は、彼らは、そう言い続けた。
東北は、まだ厳寒の季節だ。
その中で、水に浸かり、氷点下になる空中を飛び、死者や生者を救い出している彼らに、温かいものを口にしてはならないなんて、おかしい。
稼働力を維持する為にも、温め、栄養をとって貰わねば、倒れてしまう。
「おかしいよ、それ!」
「色々な目があるので。でも、我々は、こうした有事の為に訓練してきたので、大丈夫です」
大丈夫大丈夫云うなよ。
国は国民を守る義務があるんだよ。
国民を守ってくれる貴方がただって、国民なんだよ。
私たちと一緒なんだよ。
彼が昔云った言葉が蘇る。
「安心して眠ってください。私たちが護っていますから」
泣けてきた。
それを初めて聞いた時のように(https://www.facebook.com/notes/小林-惠実子/安心して眠って下さい私たちが護ってますから/332993626751446)
だったら、私たちが、ファミリーの彼に、気持ちを届けたっていいよな。
せっちゃんに、いつでもGO出来るように、クッキーを焼いて貰った。
作戦司令室で暖をとる、唯一の石油ストーブは、鍋が載せられるものだった。
カレーを作って、送ってあげようと思った。
常備品で在庫は赤飯はあるが、そんなものを不謹慎だと云う人もいるから、救援物資にも、自衛官の食事にもする訳にいかないから、ご飯も貴重品だった。
あれこれ詰め物を考えながら、毎日、郵便局とクロネコヤマトのホームページを見た。
ロジが復旧した方へ、荷物を逸早く配達してもらう為だった。
クロネコヤマトが、岩手県の、彼が着任した基地の住所へのロジスティックの復旧を告げてくれたのを見て取るや、迷惑にも送りつけた。
「国民の気持ちを、受け取れないってことはないよねぇ」
なんで脅すんだって感じだが、遠慮近憂の彼らに口を付けさせるには、これしかない。
「有難うございます。みんなで分けて頂きます。本当に感謝します」
気持ちしか送れなかった。
工場規模なら、もっと気の利いたことをしてあげられたろう。
でも、一介の個店では、既知の方に向ける程度のことしかできない。
それでも、僅かな気分転換になったらと、心だけは籠めた。
バイトの子に寄せ書きを書いて貰い、兄貴分のアニメーターには、応援のイラストも描いて貰った。
気分だけでも息を継いで、心を守って欲しかった。
ほんの一瞬でも、ふっと笑って欲しかった。
綺麗事ではない。
身内が頑張ってくれている。
そう思えたから、私達は女だけで店を護っていられたのだ。
余震や、品不足に耐えながら。
その彼に、日本酒の会を、僅かばかりの貢献だけれど、忘れてないよの気持ちを籠めて、東日本の日本酒を必ずメインとし、それだけだと重くなるから、日本各地のものも1対1でピックアップし、買い支えのきっかけとして貰おうと思うとの私の趣旨説明に、彼は喜んでくれた。
その彼に、2年経って、岩手を、その当時のことを、語れるものはありますか?と、尋ねた。ご迷惑にならない内容で、勿論結構ですので、2年経ったからこその一言を頂けないかとお願いした。
そして頂いた文面を、以下に転載します。
尊敬と敬愛と、友愛を向ける、得難い友の働きを、彼らの置かれた事実を、ご一緒に見詰めて下さい。
そこに、何かを感じて頂ける筈です。
天災は、教訓を与えてくれます。
大きすぎる犠牲と引き換えに。
それらを踏まえ、次は我が身と心得、今を生きたいものです。
死を、無駄にしないためにも。
>>>>>
東日本大震災・・・2年前の事ですが、今でも鮮明に記憶しております。
報道されているようなこともありますが、報道されていない事実もたくさんあります。
特に、隊員のメンタル。
被災地に派遣された隊員が現地で受けた衝撃もありますが、派遣されていない隊員、「留守部隊」で派遣されている隊員を支えていた者が感じた「惨めさ」は知られていないでしょう。
自衛官全員が、現地で活動したいと思っていたはずです。
しかし、全員が現地へ行ってしまえば、違う場所で災害が発生したとき、誰が対処するのでしょう。
また、派遣されている隊員の家族をサポートする者が居なければ、派遣されている隊員も任務に専念できません。
だから、後ろで支える「縁の下の力持ち」的な存在の者が重要なのです。
このことを理解させるのに指揮官として苦労しました。部下から訴えられたこともありました。
さらに、災害派遣は「敵のいない有事」です。
3月から4月にかけての東北は、冬から春に移行する気象的には非常に厳しい時期です。
特に風が強く、乱気流が発生し、飛行にはとても危険な状況が生起します。
訓練では、パイロットが「訓練中止」を決心すれば、隊長として了承します。
しかし、災害派遣はまさに「有事」なのです。
訓練のような気持ちでパイロットが「任務中止」を決心すれば、指揮官として再考を促します。
しかし、このことも理解してもらうことに苦労しました。
なかには、「飛行隊長は、頭がおかしい。」などと言う者もいました。
僕自身もパイロットになって20年経ちますが、現地で操縦中、乱気流で墜落しかけました。
本当に怖かったです。
だから、部下が飛行任務で離陸してから着陸するまで、気が気ではありませんでした。
あの災害派遣に飛行部隊の指揮官として派遣されてから、僕の人生に何らかの影響を与えたのは確かです。
それが良い方向なのか悪い方向なのか・・・・まだわかりませんが。
現地でご自宅を津波で失ったご老人から聞いた言葉です。
「ご先祖様の言うことを守っておけばよかった。」
このご老人は、ご先祖様からずっと言い伝えられていたこと
「低いところには家を建てるな」
を守らなかったことがいけなかったと言ってました。
人間は、楽をしたがる。漁師は船に乗るから、高いところに家を建てれば毎日昇り降りをするのが大変。
だから、低いところに家を建てたがる。しかし、建てた結果・・・。
日本酒の会のご成功を祈念しております。
それでは。