名古屋に単身赴任中の主人に、NHKを見ているかとメールをした。
神戸出身の彼は見ていた。
が、知人の倒壊した家を目にして、切ったとメールが返ってきた。
知り合いの死に際を、TVで見せられるのは忍びない・と。
癒されることはない喪失感に、改めて、震災に見舞われた人達の傷の深さを、知らされた。
主人を抱きしめてあげたい、抱きしめてあげるべき日に、側にいられないのが、とても辛い。
私の主人は震災発生当時、アメリカ出張中で、神戸にはいなかった。
お父上も単身赴任中。兄上も東京で院生生活中。
お母上が一人、東灘の家にいらしたそうだ。
足を怪我されたが、家は倒壊しなかった。
だが、たった一人であの地震に見舞われた恐怖は、如何ばかりだったろうか・・・・・・。
帰国した主人は、焦土とした神戸を、どんな想いで見たのだろうか・・・・・・。
結婚前に、言葉少なに、話してくれた。
「高校時代の恋人も、親友も幼馴染も、子供時代から知っていた人達の多くが、骨も残さず焼けてしまった。
根無し草になった気分だった」
それっきり、何も語らない。
私は、この15年、まだ神戸に足を踏み入れられないでいる。
私もまた、大切な縁を、炎に奪われた。
子供時代を根こそぎ喪失した主人の悲しみとは、比べ物にもならないかもしれないが、その地を踏みしめる勇気と、そのきっかけがまだ得られない。
主人の代わりに、NHKの地震のメカニズムを解説した番組は見続けた。
息子を失った母親にフォーカスされていた。
語ってくれる人がいる内に、その声を聞くべきだと思ったから。
生きている人の強さは、喪ったものを、振り切りように、もしくは、抱え込んで生きているからなのだろう。
寄り添う温もりに恵まれることを、心から願って止まない。