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余り休日の昼に、人の集まるところへ行かないのだが、ふと目にする家族連れの傾向に、ちと共通項があることに気付く。
愚図る子供に、怒りつつも、疲れて辟易としているお母さん。
注意の出来ない、お父さん。
駄目だろ、それ。
ここまでってところで、無言で子供を圧することもできなかったら、男親の立ち位置ないぞ。
怒ってるお母さん。
優しいお父さん。
これじゃあ、社会でオトナを舐める子供になりますよ。
だって大概、女の怒りは底が浅い。
こう扱っておけば怒られない。
目が届かなければ平気。
子供は大人を値踏みする。
でも、普段茫洋として寛容で、見てないようで見ている父親が、雷を落とす家庭は、
大人は侮れない
と、認識する子供が育つ。
家庭は社会の縮図なのだ。
子供が最初に触れる社会なのだ。
甘やかし放題で無秩序で放任でが、子供がいる家庭ではない。
経営者が、上司が、従業員や部署内の家族をもてなす時、子供を見る。
躾をなされている子供の親は、部下を差配することの基本は理解出来るだろうと踏む。
未成熟な子供を管理出来るなら、未成熟な社員の機微を見逃すまいと期待する。
国内外、この見識は暗黙にある。
どんなに取り繕っても、家庭で足元すくわれることは多々ある。
共稼ぎ家族が増え、父親も母親も、それぞれに社会的評価に晒される時代である。
親に恥かかせない
子は親の鏡
親は子の鏡
それが次の世代にも受け継がれる良識であると、改めて認識する必要があるであろう。
「あなたは、働く女性と、働く母親の味方ですので、ご意見をお聞かせ頂きたく」
と、とあるメディアから、アンケートに有識者としてご意見をと、オーダーを頂いたが、とても違和感を感じた。
私は、誰の味方でもないから。
そして、事情があって専業主婦をされている方もいるだろうに、同性の無神経さを、私はとても不快に思う。
ご体調もあるだろう。
家族に介護や世話の必要な人がいて、ヘルパーを雇うにあたっての相性や金額も鑑み、専業になって自由度を作って、家族や身内の為に動かれている人もいる。
だから、
働いている女性は偉い
子育てしながら働いている女性は偉い
と、ヒステリックなウーマンリブのような鼻息の荒さには、眉を寄せる。
ワークシェアをする為に、職場の同僚部下が負担を強いられて、組織崩壊、業務混乱が起きている会社も少なくない。
子供産むのは権利でしょ!
いつ産んだっていいでしょ!
子育てしている私を支えて、当たり前でしょ!
と、云わんばかりの人達が、同性の部下や後輩を辟易とさせ、仕事と子育ての両立のために、これだけ犠牲を強いるなら、働き方を変えねばと、積極的ではなく、マイナスのイメージで結婚育児を捉えてしまい、就業の魅力を減退させ、離職を促してしまっているケースに、同性として幻滅することが多い。
手助けをしたいと思う。
パティシエの息子を見ていても思う。
生後1ヶ月からお店で育っている子だ。
身内と云っていい。
バイトの子達が、オムツやミルクを替えてくれもした。
出入りの業者さんやお客様まで、みんなが協力して、職場での子育てを支援してくれた。
それは、母親の周囲への気配りと、母親の代理を務めてくれる育児経験者と、理解を促すサポート役がいて、初めて成立するものだ。
子育てには幾つものレイヤーが必要である。
そのことに、公私共に気付ける人を、応援すること吝かではないが、権利ばかりを主張する人に対して、私はとても冷たい。
気遣いの無い人は、男女の別なく、仕事出来ませんし、人からの信頼信用も薄い。
だから、
女性の味方
と、括られたくはない。
働く女性を、妻を応援する男性諸氏に、そもそも失礼だろ。
と、思っている。
から、私はいらぬところで、敵を作るんだろーなーw
と、とあるメディアから、アンケートに有識者としてご意見をと、オーダーを頂いたが、とても違和感を感じた。
私は、誰の味方でもないから。
そして、事情があって専業主婦をされている方もいるだろうに、同性の無神経さを、私はとても不快に思う。
ご体調もあるだろう。
家族に介護や世話の必要な人がいて、ヘルパーを雇うにあたっての相性や金額も鑑み、専業になって自由度を作って、家族や身内の為に動かれている人もいる。
だから、
働いている女性は偉い
子育てしながら働いている女性は偉い
と、ヒステリックなウーマンリブのような鼻息の荒さには、眉を寄せる。
ワークシェアをする為に、職場の同僚部下が負担を強いられて、組織崩壊、業務混乱が起きている会社も少なくない。
子供産むのは権利でしょ!
いつ産んだっていいでしょ!
子育てしている私を支えて、当たり前でしょ!
と、云わんばかりの人達が、同性の部下や後輩を辟易とさせ、仕事と子育ての両立のために、これだけ犠牲を強いるなら、働き方を変えねばと、積極的ではなく、マイナスのイメージで結婚育児を捉えてしまい、就業の魅力を減退させ、離職を促してしまっているケースに、同性として幻滅することが多い。
手助けをしたいと思う。
パティシエの息子を見ていても思う。
生後1ヶ月からお店で育っている子だ。
身内と云っていい。
バイトの子達が、オムツやミルクを替えてくれもした。
出入りの業者さんやお客様まで、みんなが協力して、職場での子育てを支援してくれた。
それは、母親の周囲への気配りと、母親の代理を務めてくれる育児経験者と、理解を促すサポート役がいて、初めて成立するものだ。
子育てには幾つものレイヤーが必要である。
そのことに、公私共に気付ける人を、応援すること吝かではないが、権利ばかりを主張する人に対して、私はとても冷たい。
気遣いの無い人は、男女の別なく、仕事出来ませんし、人からの信頼信用も薄い。
だから、
女性の味方
と、括られたくはない。
働く女性を、妻を応援する男性諸氏に、そもそも失礼だろ。
と、思っている。
から、私はいらぬところで、敵を作るんだろーなーw
生徒「先生、こんなことやって将来何の役に立つんですか?」
先生「こんなことも出来ない君達は将来何の役に立つんですか?」
人生の格言になった
—————
って云うのが、異口同音で、自分も、学生時分から今日まで、
「なんの役に立つんだよ」
と、云う人に言い放っていた。
同志がいたw
「和」の習い事が子どもにもたらす良い効果6つ
国際化と云うのに、自国の文化を語れない、自称国際人が多いですね。
語学が堪能なのと、教養は違いますし、自国の文化に誇りを持つ人は、他国の文化を理解しようとした上でアプローチを図るので、共感性と歩み寄りが果たし易いようにお見受けします。
日本人
への、興味や羨望は、未だに高いので、その期待に応えるのも、国際交流として大切なように思います。
日本人女性として誇らしく思うのは、着物時代の遥か昔に海を渡った大和撫子達の逸話です。
彼女達は、端然とした姿勢と所作で、ドレスにその身を移しても、不自由することはなかったと云います。
着物の、制約された動きは、頭を揺らさず滑らかに歩くことを旨とし、おすべらかしを捌く足元は、ドレスの立ち居振る舞いに通じ、袖を抑える仕草は、ドレスの袖のフリルを守りました。
呼び掛けに応じて振り返る姿一つも、首だけ、上半身だけのガサツさはなく、体全体を相手に向けます。
海外の貴婦人以上に上品で、控え目で、相手を思い遣る気遣いと察しの良さに溢れた、大和撫子の多くは、
賢夫人
として、敬意を持って社交界に迎え入れられたそうです。
私は、日本人、外国人問わず、立ち居振る舞いを褒められることが多いのですが、私の家は幼い頃、家族揃って着物を着るのが日常であったり、バレエと日本舞踊を習わせて貰ったことが、所作の美徳として備えて貰えたように思われます。
躾
とは、身を美しくと書きます。
美しさとは、所作であり佇まいから醸されるものがあります。
どんなに頭が良くても、ガサツで下品では、人として敬意を払われません(突き抜けると、奇人枠で賞賛はされる^_^;)。
男女問わず、立ち居振る舞いには育ちや、培ってきたステイタスが出ます。
勝ち得た地位に見合う振る舞いができるのもまた、重要です。
子供の頃に馴染んだものは、大人になってからの優劣を決めることもあります。
可能なら、機会に応じて経験させてあげたいものです。

