今日3.11




あの日から7年








「被災地は本当の意味での

   
   復興はされていない



    ぽっかりとあいた心の穴を

   
    羽生選手が埋めてくれた


    尊敬します」





仙台パブリックビューイング参加
宮城県多賀城市デイサービス相談員
佐々木 木の実さん(31)

                              〜日経新聞2/18朝刊より〜



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東日本大震災から7年、被災者としての羽生結弦・支援者としての羽生結弦


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宮城県仙台市。そこには羽生のホームリンク『アイスリンク仙台』がある。2011年3月11日、羽生はそこで練習中に被災した。

 地震発生時、JR仙台駅近くで営業活動をしていたという当時の支配人、新井照生さん(54)は、慌ててリンクへ戻ろうとしたのだが……。

「車で30分程度で着くところが、2時間近くかかりました。私が戻ったとき、羽生君はいませんでした。地元のスケートクラブのOBの方に助けてもらったそうです」

 幸いなことにケガ人はいなかったが、ベンチや貸し靴棚が倒れ、壁には亀裂が入っていた。約1か月後、余震が亀裂を深め、ひび割れた壁がリンクに落下してしまった。

「リンクに氷を張っていないとき、氷を凍結するパイプがむき出しになっているんです。その上に壁が崩れ落ち、破損してしまいました。おまけに電力不足で、アイスリンクを復活させてほしいとはとても言えませんでした」

 と新井元支配人。再開ができたのは、同年7月だった。

 羽生も、再開を喜んだ。

「“ありがとうございます”とあいさつしてくれてリンクを確かめるような感じで滑ってました」(新井元支配人)

 同リンクは昨年12月、リニューアルオープンした。羽生が、音響設備を改善するようアドバイスをした。これ以外にも著書『蒼い炎』『蒼い炎II』の印税を全額寄付したりと、同施設への思いの強さがわかる


 そのリンクで、小学校から羽生を指導し、金メダリストの土台を作り上げたのが都築章一郎コーチ(80)だ。

 震災時、横浜のスケートリンクにいた都築コーチは、仙台で練習できなくなった羽生を受け入れた。

「彼は本当に仙台を愛していた。被災で強いショックを受け練習にも集中できない様子でした。つらかったと思う」

 と回想。驚く光景も見た。

「余震が起こると、結弦が非常に素早い動きでリンクから飛び出して、外に避難したんです。精神も肉体も正常な状態ではなかった。でも強い子ですから弱音などは一切、吐かなかった」

 立ち直りのきっかけは、全国各地のアイスショーを転々としたことだという。

「そこで海外の選手と触れ合い技術を高めたこと、各地でファンの応援に力をもらえた。過酷な経験を、結弦はプラスへ変えました。震災を乗り越え、精神的にも肉体的にも成長し、新たな羽生結弦が誕生したように思います」

 と都築コーチは読み解く。

 ソチ五輪の直後、都築コーチは羽生に「金メダリストのコーチにしてくれてありがとう」と伝えたという。

 新井元支配人は平昌冬季五輪の滑りに目頭を熱くさせ、

「ソチ、そして今回の平昌の金メダルが被災者に勇気を与えてくれた。彼に関われたことを誇りに思います」








羽生結弦の金に感謝 

福島原発事故の語り部 遠藤さん



 東京電力福島第1原発事故の被災地も、平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)フィギュアスケート男子の羽生結弦(23)の金メダルに元気をもらった。連覇から一夜明けた18日、福島県いわき市在住の遠藤義之さん(45)が日刊スポーツに連絡。「結弦くんの頑張りに泣き崩れた。ありがとうと伝えてほしい」と訴えた。昨年4月、一部を除いて避難指示が解除された富岡町から避難中。原発から約7キロにある自宅は、放射線量が高い帰還困難区域にあり、震災後7年の今も戻れない。


 羽生はソチオリンピック(五輪)の翌15年6月、原発事故の現状を見に、同市や広野町を訪れた。除染廃棄物を入れた黒いフレコンバッグが大量に置かれた現場、津波被災地域を見て回った。遠藤さんは語り部活動をしている関係で、羽生に同行。その時を「彼も被災地仙台出身。何か『被災地のために』という思いが強く、いろんなものを背負いすぎている印象だった」と振り返った。


 その夏、羽生から都内のアイスショーに招かれた。震災後、妻子は都内で暮らし、半年に1度しか会えないため、久々の家族だんらん。演技後、羽生から「遠藤さん、待っていてください。写真を一緒に撮りましょう」と言われた。


 今回の羽生の金メダルに「本当に勇気づけられた。未来への力になった」と感謝した。











被災地の人々の

心の穴を埋め

勇気と希望を与えた

彼の金メダル





もちろん四年前だって
充分そうだったのに

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彼が密かに感じてたという無力感






この無力感から


立ち上がってきたからこそ





2度目の金メダルは


なおさら尊い

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だって
彼は身を以て

知ってるから

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金メダルは

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笑顔の象徴



「自分が(ソチ五輪の)金メダルを持って被災地の方々にあいさつしたときに、たくさんの笑顔が見られたので、今度はちょっと自信を持って、みなさんにまた笑顔になってもらえたらいいなと思っている」  平昌金メダル獲得後会見より



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金メダルは使命


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金メダルは約束の証



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頑張り続けること


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そして


絶対に忘れないことの。



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忘れない  絶対に。










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今なお癒えぬ深い痛手を
負った彼の地

他ならぬこの地に

この国の、いや世界の宝たる
彼という
救いの存在が遣わされたのは

運命の導きのような気がしてならない









今日3.11



あの日から7年





もう7年




まだ7年



復興は


まだまだ道半ば…





だからこの先も



ずっと



ずっと




忘れたくない



忘れられない






ゆづファンだから
じゃなくて




日本人として。









この痛みは





ずっと



この国のもの。


 









    




*画像は感謝してお借りしました