今日3.11
あの日から7年
「被災地は本当の意味での
復興はされていない
ぽっかりとあいた心の穴を
羽生選手が埋めてくれた
尊敬します」
仙台パブリックビューイング参加
宮城県多賀城市デイサービス相談員
佐々木 木の実さん(31)
〜日経新聞2/18朝刊より〜
東日本大震災から7年、被災者としての羽生結弦・支援者としての羽生結弦
羽生結弦の金に感謝
福島原発事故の語り部 遠藤さん
東京電力福島第1原発事故の被災地も、平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)フィギュアスケート男子の羽生結弦(23)の金メダルに元気をもらった。連覇から一夜明けた18日、福島県いわき市在住の遠藤義之さん(45)が日刊スポーツに連絡。「結弦くんの頑張りに泣き崩れた。ありがとうと伝えてほしい」と訴えた。昨年4月、一部を除いて避難指示が解除された富岡町から避難中。原発から約7キロにある自宅は、放射線量が高い帰還困難区域にあり、震災後7年の今も戻れない。
羽生はソチオリンピック(五輪)の翌15年6月、原発事故の現状を見に、同市や広野町を訪れた。除染廃棄物を入れた黒いフレコンバッグが大量に置かれた現場、津波被災地域を見て回った。遠藤さんは語り部活動をしている関係で、羽生に同行。その時を「彼も被災地仙台出身。何か『被災地のために』という思いが強く、いろんなものを背負いすぎている印象だった」と振り返った。
その夏、羽生から都内のアイスショーに招かれた。震災後、妻子は都内で暮らし、半年に1度しか会えないため、久々の家族だんらん。演技後、羽生から「遠藤さん、待っていてください。写真を一緒に撮りましょう」と言われた。
今回の羽生の金メダルに「本当に勇気づけられた。未来への力になった」と感謝した。
被災地の人々の
心の穴を埋め
勇気と希望を与えた
彼の金メダル
もちろん四年前だって
充分そうだったのに
金メダルは
笑顔の象徴
「自分が(ソチ五輪の)金メダルを持って被災地の方々にあいさつしたときに、たくさんの笑顔が見られたので、今度はちょっと自信を持って、みなさんにまた笑顔になってもらえたらいいなと思っている」 平昌金メダル獲得後会見より
金メダルは使命
金メダルは約束の証
頑張り続けること
そして
絶対に忘れないことの。
忘れない 絶対に。
今なお癒えぬ深い痛手を
負った彼の地
他ならぬこの地に
この国の、いや世界の宝たる
彼という
救いの存在が遣わされたのは
運命の導きのような気がしてならない
今日3.11
あの日から7年
もう7年
まだ7年
復興は
まだまだ道半ば…
だからこの先も
ずっと
ずっと
忘れたくない
忘れられない
ゆづファンだから
じゃなくて
日本人として。
この痛みは
ずっと
この国のもの。
*画像は感謝してお借りしました