私には4つ上の兄がいます。
兄はもう結婚し、かわいい
かわいい
女の子もいます![]()
そして、先日、兄がマンションを買いました。
と、そこで、一つ、恒例の事件が勃発しました。
それは父VS兄です。
マンションを買ったと事後報告した兄に、
父は、マンションを買う前に一言相談してほしかったというのです。
この手の話は以前もありました。
車を買ったときも、結婚式を挙げるときもです。
兄は事後報告だったのです。
「車買ったんだ。」「式場ここにするんだ。」
そして今回、「マンション買ったから。」
もう30歳にもなるいい大人で、自立しているわけだから事後報告でもいいと思うのです、私としては。
それに、うちの父は、私たち子供の言うことには、大概なにかしら意見します。反対します。否定します。
だから兄は、父に言えば、反対の意見をされたり否定されるから何も相談しないのです。
しなくなってしまったのです。
信用していないのではなく、反対・否定されるのが目に見えているから,,私たち子どもから相談しないのです。
そのことを全く自覚していません。
私も子供の頃、小学校の先生と、ツアーコンダクターの夢がありました。
でもその二つとも父に消されました。そして、父の強制的な勧めで看護師になりました。
小さいときから看護師になれ~
と洗脳されていました。
実は兄も、看護師です。
兄は高校まで大学進学を考えていましたが、やはり父が、大学に行くより手に職だといい、看護学校を勧め、結果、兄もよくよく考え看護の道を選びました。
兄は私とは違い、ちゃんと自分で納得して、看護師として働いているようなので、私のように嫌々看護師をしているわけではありません。
ただ、自分の職業を父が諭した通りに選択し、学校も学費が安い学校に入り、全て親の言うとおりに生きてきています。
だから、もうこれ以上は、父の言うとおりに生きていかなくてもいいという思いがあるんじゃないかな・・・と私は勝手に推測しています。
そして、私の妹もやはり、父の言うとおり看護学校に入りました。
しかし、妹は学校を辞めました。
そうです。わたしは思うのです。
看護という仕事は特殊です。物を売ったり買ったり勧めたりするのではありません。
人の命と心と人生を預かる仕事で、人から勧められてできるようなものではありません。
自らなりたいと志す人がやる仕事だと思います。
私はそのことに看護師1年目で気づきました。
大学病院で小児科に勤務していた際に気づいたのです。
世の中に、こういうところがあるんだ・・・こういうお子さんがいるんだ・・・
それまで見ていた世界とは違い、社会の裏というか、影というか、暗い部分を見た気持ちでした。
すさまじかったのです。私には。(私が人から勧められて入った道だから考えが甘かったというのもあると思います。)
そして、看護の厳しい現実を知った私が父にこんなことを言いました。
「私の病院の小児科では看護師は注射はしてはいけない決まりだから、私は注射はできない(注射の技術はない)よ」
すると、父は
「えっ?じゃ、なにしてるんだ?」
「いや、なにって・・・・・全身管理だね。」
「全身管理って?」
・・・・・・・・・・・私は呆然としました。
父の中の看護師像が見えた気がしたのです。
父の中での看護師という職業に対しての理解はその程度だったのだと。
その程度の理解しかないのに、看護師を強く勧めたんだと。(食いっぱぐれのない職業だという理由で。。。)
なんて無責任な。。。と思いました。
私が仕事で死にたいほど辛くても何もできないじゃない。仕事をするのは所詮、「私」だ。
患者さんの命を預かり、責任という重い重圧に耐えるのは「私」で、父は何もしないじゃないか、できないじゃないか。結局、責任なんてとれないじゃないかと。
つづく