看護師を辞めるにあたり、どうしても、自分の中で整理したい思いがあり、書くことにしました。
「看護師」という仕事に就いてから、いえ、看護学校に入ってから、いいえ、看護学校に進むと考えていた高校生のときから、ずっと看護師という職業について考えていました。
自ら、やりたい、なりたいと思ったことは一度もありませんでした。
言ってしまえば、両親の強い勧めで、ならざる得なかった。
「看護師以外の学費は出さない」くらいに言われました。
看護学生時代も何度やめようとしたか知れませんし、最終的には資格だけ・・・と思って頑張っていました。しかし、一度やっぱり臨床に出てみよう、学生と実際看護師として働くことは違うはずだ、もしかしたら、この仕事をしたいと、好きだと思えるかもしれない。そう思い、その思いに賭け、就職しました。
成人は大の苦手で、やるなら、小児か、NICUか、産科と決めて希望を出したところ、幸運にも小児科に配属してもらえました。
私なりに、大学病院の小児科ですから、相当の覚悟はして入職したつもりでした。
小児実習もそこでしていたので、どのようなお子さんがいるかは知っていました。
しかし、実際、中は壮絶で、想像以上でした。
私には、まるで、生き地獄でした。
多分、看護師1年目なんて、大きい病院じゃどこもあんなもので、当然だと思いますが、もともとやりたいと思っていない私には、きつかった。
それでも、親が言ったからと逃げるのが嫌だったり、嫌々ながらやるのは苦しかったから、自分なりに、看護のいいところ素晴らしいところ、やりがいを見つけ、看護は自分が成長できる、プラスになることがたくさんあり、今の私には必要なことなのだとずっと言い聞かせてきました。
やっているうちに、「こうなりたい」という、看護師像ができ、格好良く見え、私も「そうなりたい」と思うようになるときもありました。
人として強く、真のやさしさを持ち、心が広く、なにが起きても動じない冷静さの備わる仕事だと思いました。
他にはない、命を救うという究極さにも魅力を感じていました。
ただ、ふと、ここまで人のためには出来ない、と思うこともありました。
看護師で行き詰まり、つらくなると、本当にやりたいことはこれじゃない。。。
英語をやりたいと思っていたじゃないかと思い出す。
いつもこの繰り返しでした。
看護師1年目の小児科では、白血病や小児ガン先天奇形などをおもに看ていました(とても看ていたと言えるものではなかったけれど・・・)。
あまりのことの重さ、大きさに、私のキャパはそこまではなく、200%集中し力を注いでも、ついていけるものではありませんでした。
毎日出勤しても何をしていいのか分からず、何もできないのです。
あの時は毎日、消えたいと思っていたし、10階あった病院の屋上から飛び降りたいと、思ったことも、ありました。
さすがに朝8時から日付が変わる頃まで仕事をしていると、頭がボーっとしてきて、どうでも良くなり、正常な判断がつかなくなり、わけの分からないことを考えていました。
この看護記録を書き終えたら、このまま屋上に行こう。。。。。と。
毎日、誰か殺してくれないか、電車に飛び込もうか、車にひかれないか、そんなことばかり考えていた時期でした。
命の大切さを一番よく理解しているはずなのに、自分の命を自ら投げ出したくなっていました。
そんなこと、決して、決して、決して、思ってはいけないのに。
でも、もう、どうしようもなかった。
夜勤前などは泣かなければ家を出れなかったし、暗い中泣きながら行ったり、
玄関先で靴を前にして、泣き崩れたり。
それでも、自分の代わりはいない。
逃げる・休むなんて無責任なことはできないと、両手を強く握り締め握りこぶしを作りながら、または腕をくみ、自分で自分を抱きしめるように、わずかに自分の中にあった理性をふりしぼって行っていました。
何で、私が看護師をしないといけないんだろう。。。
もう、看護師をする意味も目的も目標も分からなくなっていました。
やはり、やりたいと自ら志していないから、続かないし、辛さに耐える力がなかったんだと思います。
そして、私は、奨学金を借りており、奨学金を返さなければ・・とも考えていました。奨学金を受けた3年働けば返金が免除されるのですが、いつまで働いたら使った分が貯まり、返せるか。。。と。
しかし、奨学金は学校と、県と二つから借りていたものの、学校に入学した当初から、県の奨学金は一切、手をつけず、学校の方は1年分だけ使いあとの残り2年分は、そのまま残していました。
それは、看護師を途中で辞めるかもしれない、続けていけないかもしれないと、続けていく自信が持てなかったから。
やめたくなったとき、お金がなければやめれないないので、すぐやめれるように、手をつけずにいました。
それだけのやめるかも知れないという思い、覚悟が強かったのです。
それから、7月にはもう続けていくことは無理だと思い、師長に休みを少しほしいと話しました。
そこで師長は、
「あなたはこの病院と(少なくとも)1年契約しているのよ。
契約してるんだから、その責任を果たすのが社会人としての責任でしょ。
それに、今辞めたら、経歴に傷がつくわよ」
と、辞める事は許されませんでした。
今となっては、あの時やめなくてよかったと思っています。
でも、休みは3日頂け、実家に帰りました。
そして、そのときです。
高校時代一緒に生徒会をしていた友達がJALのCAになったことを、新聞に掲載されていたスクールの広告で知ったのです。
それを見た瞬間、
私は何をしているんだろう・・・・
何をしてきたんだろう・・・・
決して、恥ずべき仕事ではなく、胸を張れる立派な仕事をしているのに、即、そんな風に思っている自分がいました。
こんな風に思ったことが看護師をやめようと本気で思った一番のきっかけでした。
これがきっと一番正直で素直な私の気持ちなんだろうと。
ここで、CAという職業が私の視野に入りました。
そして、1年、この病院で、看護師としてこんなに辛いことに耐えられているなら、もう何でもできる、CAだって絶対できると、馬鹿な自信が胸に湧いていました。
それでもやめようか続けようか、と悩んだ心を持ちながら、3月まで働き続けていました。
同期で同じチームでやってきた子から、「辞めないで~泣。一緒に頑張ろうよ!」と言われたり、私以外の同期は誰も辞めなかったので、やはりわたしだけ・・・といのも嫌だった。
やっぱり、もう一年頑張ってみようという思いや、夜勤明けの清清しい達成感とチームでのクリスマス会や先輩とカラオケに行ってはっちゃけたり、ご飯食べに行ったり、結束の強い同期との飲みに行くことも楽しかった。
そういう仕事以外でのことなどの人付き合いはとても楽しく有意義で大切に感じていました。
でも、その一方で、看護はもう散々だ・・・・・という、二つの思いが混在し、悩んでいました。
よくよく考え、考えに考えた末、結局、このまま続けることは、気分の波で、続けていこうと思うことがあっても、ずっとやりたくないとウダウダいい続けていくだろう、その思いは消えないだろう、ならば、一度離れてみればいいじゃないか。思い切って一度看護師から離れてみようと、たった1年でその病院をやめることにしました。
そして、もう一つ。
仕事がどん底で、唯一の支えだった彼氏とも駄目になり、その彼と完璧連絡が途絶えたことも辞めることに拍車をかけていました。
家族のいる地元に帰ろうと。
二度と戻るまいと思っていた地元にもどりました。
もう、そこで、一人、頑張っている意味が、いる意味が分からなくなっていました。
同期や、沢山のことを教えてくださった先輩方や、学生時代の友達、全てを手放し、恩を仇で返したようなものです。
一年大学病院で働き、辞めたあとは身体が、心が、おかしくなっていました。
体重も1年で10キロも増えていました。また、食べ物の味が良く分からなくなっていたり、笑えなくなっていたり、絶望感で胸がいっぱいだったり。
地元に帰ってきてからは、毎晩のように耳鳴り・動機が続き、体温調節もうまくできず、こんなに自分の体調がおかしいことには気づいていませんでした。当時は、気づく余裕も、気遣う暇もありませんでした。
それでも、このまま、家にいては引きこもりになりかねないという危機感や、やはり、仕事をしていない=社会との繋がりがないということに、社会からの疎外感を感じ、すぐにでも働きたいと、身体的にも精神的にもボロボロのところで就職活動をすぐ始めました。
語弊・誤解があるかもしれませんが、
初めてハローワークに行き、職探しをしている中の一人であることがなんだか嫌でした。こんな自分が情けないと。。。続けられてさえいればここにくる必要はなかったのに。。。と。
みんなぎりぎりのところでやっていた。
わたしだけやめて来た。
逃げたのか、負けたのか。
看護師が出来なかったのは挫折なのか。
どうして看護師をやめたいの?
逃げなの?
出来るのにしないの?それともできないの?そんな器じゃないの?
「命をあづかる度胸がない
命をあづかる重圧に耐えられない。」
上がった土俵が違かったんじゃないか?
(人のために何かをするのは向いていないし、好きじゃないのかもしれない。。。)
看護師として無理矢理いい人ぶって偽善者になっているより、自分の好きなことでそれが人のために役立てられたらそれが一番なんじゃないか。
英語を気が済むまでやってみよう。納得するまで、自分の中で答えが見つかるまでとことんやってみよう。今ここで看護師に戻っても同じこと。何も 変わらないし、納得する満足する答えなんて見つけられない。
むしろ、ずっと永遠と、懇々と悩み続ける。
CAは、今しか出来ないこと。若いうちにしか出来ないこと。
そう考え挑戦してみようと思いました。
これまで、
続けようと辞めようという思いの狭間で揺れてきました。
随分、葛藤してきました。
やりたくない、やれないといいながらも、やりたいと思うときもあり、ほんとにやりたいのかと考えるとそうでもなかったり・・・。よく分からないのです。
なぜこんなに看護師にこだわるんだろう?
途中で投げ出し、辞め、中途半端にしたことが負けている気がしてならないから?
そう、負けず嫌いだからだ。。。
看護師をやめることに関して、人の道をはずれてしまうような気がするほどの罪悪感があった。
中途半端に物事をしたくない、終わらせたくない、逃げたくない。
今まで、何事も、自分で納得するところまでやってから、やめる事はやめてきた。
やりたくないということでも自分が納得するまで、完全燃焼するまでやってきた。
どんなことでもそうだった。
そうだ。
納得するところまで、自分の中で達していないんだ、看護師は。
だから、中途半端な、逃げている感覚が消えないんだ。
それが人の命を助ける医療従事者という厳しい仕事だから、余計そうなのかもしれない。
厳しく辛いものほど、逃げたくはないし、自分に負けたくない。
そんな思いが拭えず、引っかかり、しこりとなり、残り、消化しきれませんでした。
こんな思いがずっと胸につかえていました。
それでも、大事なもの手放してはいけないと思うほど大切なものになっていた看護師生活。
今ではとても、とても尊敬している看護という仕事。
それを投げ出し、捨てるのだから、それに見合う人生を見つけ、歩いていかないといけないと思う。
今回、会社に拾っていただき、私は、大きなチャンスを頂いたのだと思うのです。
もう一度、今度は、自分の選んだ道で、納得するまでやるチャンスを。
そのようなチャンスを与えてくださった会社に心から、本当に本当に感謝をしています。
CAという職業を通して、もっと広い世界をこの目で見て・経験したいと思います。
もしかしたら、CAを通して、このままCAを極めようと思うかもしれないし、CAで学んだスキルを生かして、次に何かやりたいことが見つかるかもしれないし、看護師に戻りたくなるかもしれない。
それは、わかりません。
先のことは分かりません。
でも、このCAとして、ふさわしい人財になるべく、努力を重ねて、生きていきたいと思います。
そして、私のこの4年と4ヶ月の看護師だった時間を客観的に見つめたいと思います。
看護という枠の外から、看護を見てみたいと思います。
だいぶ、大きな方向転換ですが、
これが、今の、これからの、私の生きる道だと、思っています。