わたしは、毎日ウォーキングをするように

していますが、運動不足と

夜眠る前に飲む薬を減らしているために

睡眠不足が続いています。

おくすりは止めるつもりです。


睡眠欲は人間の一番大きな本能だと

聴きます。

その睡眠欲が阻害されるのは

つらいことです。


睡眠欲、食欲、性欲が生命を維持する

ための三大欲だと聴きます。


睡眠、食事が阻害されると

最悪生命にかかわります。


性欲はどうか。

人によって、男女年齢によって、

また個人によって

そのあり方は大きく違うと思います。


この性欲は人間は相手がいなくても

処理する方法を知っています。


だから誰かが言うように、

男に「モノ」としての女をあてがわ

なければならないというようなもので

はないと思います。


「モノ」として扱われる女も犠牲者なら

それをあてがわれる兵士も犠牲者です。


わたしの父が亡くなって、14年近く経ちます。

父は1937年、日中戦争が始まると、二十歳

で徴兵され、太平洋戦争の敗戦までずっと

兵役に就き、南方から北支へと転戦し、

敗戦の時は北支にいました。


そして、敗戦とともに、シベリアに抑留され、

約1年半、強制労働に就かされ、

垢で真っ黒になり、がりがりに痩せて舞鶴の

港に辿り着いたそうです。


父の二十歳から三十歳までの青春期の

十年間は、戦争に費やされたものでした。

尋常小学校六年きりで、働きに出ました。

そして徴兵です。


わたしは、父の生前に

戦争の実際の様子や慰安婦のことなどを

尋ねました。


友が目の前で、ばたばたと弾に

当たり倒れていったそうです。

「可哀想だった」

と父は言っていました。

弔ってやりたくても、亡骸を置き去りに

したまま逃げて行かねばならなかった

そうです。


中国人を池に沈めて、

大きなすり鉢を放り込んだ話などを

していました。

殺さなければ殺されていたと

言っていました。


慰安婦の存在のことも言っていました。

お金を払って長い列を作って、まるで

公衆便所の順番を待つようだったと言って

いました。


父の口ぶりからは、慰安婦を拒否することは

出来ない状況が窺えました。

また情を交えるというようなこととは程遠い

一瞬のことのようでした。


父は、

戦争の生き証人です。

日中戦争が始まってから、太平洋戦争の

敗戦、シベリヤ抑留まで体験しているの

ですから。


もっと父の心に添って

たくさんのことを聴いておけばよかったなぁ

とつくづく思います。











趣味の文学の繋がりで、ずっと昔に知り合った

名古屋の友人から、突然葉書が来ました。


「大阪市長のあの人、政治家として辞職させるように

どうして大阪の人はしないのだろうか」

そう書いてありました。


この正月には、京都の友人からも言われました。

「なんで大阪の人はあないな人を選ばはるのやろうな。

大阪の人は、よう考えんと珍しい人をと思わはるんやろうか」


わたしは、大阪府下に住む者として少々恥ずかしい思いを

しました。大阪人は軽薄だと言われたみたいでです。


現大阪市長さん、

苦しい強弁なんかやめて、

大恥かいてひきずり降ろされる前に

辞職されたらいいのにと思います。