「母ちゃん、タツ子はお山で焼かれてしまったのか」
茂男が聞いても、黙って頷くだけだ。
茂男は母ちゃんは悲しいのを我慢しているのだと思った。ずっと前に茂男は母ちゃんから自分の上にも男の子がいたが、三つで死んでしまったことを聞いていた。母ちゃんはそのときもきっと悲しかったにちがいないと茂男は思った。
大工をしている為男が帰ってきて皆が揃うと、茂男の家の晩飯が始まる。為男はこの頃は川を挟んで隣の草野の村に行っている。大阪にいる弟の、茂男にとっては叔父の家を建てているのだ。為男は、大工の棟梁だが、弟子を従えて鋸で木を切ったあと鉋をかけ、鐫で削って木を組み合わせ、釘を打つ。雨の日は木が濡れるので大工の仕事はしない。だから大きな家を建て内部の造作まで終わるには二~三年もかかる。
農繁期にはハツと茂吉それに時には為男も加わって、遠くの茂男の家の田がある三川という村の田小屋に泊まり込んで五反に増えた田の仕事をする。その間、フジ子は一人で子どもたちの世話をしながら、桑畑と野菜畑の世話をする。
その日の晩飯は、味噌汁に鯵の煮付けと卵焼きが付いた。あとは菜っ葉の漬物だ。卵焼きはご馳走だ。茂男は自分の当り分の二切れの卵焼きを少しずつ味わって食べた。鯵の煮付けは半分ずつだ。おかずが二品付くこんな日は珍しい。しかし今は一年中で一番おかずの多いときだった。冬になると、肉も生魚もほとんど食卓に上ることはない。かぼちゃや芋や白菜などの野菜のおかずばかりになる。そしてたまには村のよろず屋が仕入れた塩もの魚が食卓に上る。春には琵琶湖の小鮎がときどき食卓に上る。茂男は小鮎を醤油と砂糖で炊いたのが大好きだった。鶏肉や卵、魚もない日に茂男が「何もない」と言うと、ハツは怒る。
「贅沢いうたらあかん。昔は月に二回ほど、小浜の方から来る行商人の塩魚が食えたらええ方やった」
晩飯が終わると、茂男は学校の担任に宿題だと言われた算数の足し算と引き算をして、国語の帳面にその日の出来事を帳面に三行ほど書いた。帳面の表には、「いけのしげお」「しょうわ三十ねん」と大きな右下がりの鉛筆で書いた茂男の字が踊っている。
「ぼくはきょう、てらの木にのぼってあそびました。そして家にかえりました。ばんにたまごやきを食べました。おいしかったです」
終わると、茂男は土間で駒回しをした。美代はもう寝てしまっていた。そのうちにとなりのお爺がもらい湯をしに来た。茂吉爺ちゃんととなりのお爺が囲炉裏に柴をくべてあたりながら、お互いに今日した仕事を自慢し合っている。無口な為男も時々ぼそぼそと話に加わっている。