お盆といえば、お墓参りですね。だけどこの頃はお墓参りしない人も増えているようです。お参りしたくても参る墓がないという人が多いのかも知れません。親が亡くなったら、お墓に入るというのはもう常識ではなくなってきているようです。
直系の子孫がなくなることが明らかな人は、墓は無用であると言い残すことが多いので、子どもは新たな墓を作らず、親の遺骨をお寺で永代供養してくれるように頼むという話をよく耳にします。
また、あらかじめ遺骨は海に撒いてほしいとか、山の頂上から撒いてほしいと遺言する人も増えてきているようです。自らの死後のことを決める自由は尊重するべきです。
また少子化、非婚化の進行により、無縁墓が多くなることでしょう。
しかし、散骨する人があまり増えると、子どもたちが自分の祖先に思いを馳せる縁が少なくなり、アイデンティティの形成が、今以上に難しくなると思われます。
人が亡くなると、物理的な肉体が消滅するだけでなく、精神(心)も消滅します。だけど「その個人」が生きていた事実そのものが消えるわけではありません。だから霊とか魂の不滅なんてことじゃなく、残された者が亡くなった人を偲ぶ一つの拠り所として、お墓というのは必要かなと思います。亡くなった人の肉体も魂も墓石の下にはありませんが。
故人を偲ぶ同じ縁をもった人々が、出会うことがことが出来る一つの拠り所がお墓であると思います。
墓地墓石の引っ越しという話をときどき耳にします。先祖代々の墓を守ってはいきたいが、「お墓参り」という行動を起こすことが困難になるので住居地の近くに移すということなのでしょう。苦渋の決断ということなのでしょう。
それぞれの人にそれぞれの考えがあり、多様化している現代です。他人の自由を侵害しない限り、多様な価値観が認めらていいと思います。一つの価値観を押し付けられることは恐ろしいことです。他人の生きる権利を奪う危険が大きい。
話が逸れてしまいました。一年に一回、お盆という時期がある。わたしは、お墓に参り、手を合わせて来し方のことこれから先のことに思いを馳せるというのも、一ついいことじゃないかなと思うというのが、現在の結論となります。