例えるなら、
―お気に入りのクラッチの金具が外れてしまった感じ―
非常に私事ですが、本日(正確には昨日)夕刻、親戚のおじさんが逝去しました。
母方の父の弟さんですので、近くはないですが、
母の実家の辺りでは、本家分家が今だにあるものですから、
家は知っていて、小さい頃は私も祖父母に連れられ、よくお邪魔しました。
しかし、祖父が亡くなった時に色々ありまして(本家ですので)、
祖父兄弟に対し、信用がなくなってしまい、結局、祖父のお葬式で逢って以来、でした。
母から、電話で知らされました。
「おじさんね、最期までアキのこと心配してくれてたんよ、
アキは知らんかも知れんけど、いつもメールでアキのことを気にしてくれてたんよ」
アタシは、確かに祖父の自慢の孫娘やった。
けど、いくら自分の兄の孫娘のことを危篤になるまで、気掛かりに思ってくれる人って
そぉは居らんはず。
祖父のお葬式のゴタゴタで、アタシは大事な何かを見てなかったのかも知れません。
あの頃は若くて、感情が先走りしていました。
誰かがしなければいけないことを、して下さっていたのです。
大人になってそれが必要だと分かり始めました。
誤解は後悔に繋がることを学びました。
最期に逢えなかったと後悔する母に、何て声を掛けられよう。。。
電話では“仕方ない”としか言えなかった自分に腹が立ちます。
大家が帰るので、母に手紙を渡してもらおうと、思います。