少し、惨めな想いになった私は、それを振り切るように大声でこどもたちに、叫んだ。
「みなさん、静かに!さっきは、良かったわ。今度は、さらにリズムに気をつけてしましょう。オットー、背中をまっすぐにして。縦笛を吹くには姿勢が大事なの。それから、そこの謎の少女、またお人形を持ってきたわね」
いつもの私に戻っていく。
この時は、これで収まったと思っていたが・・・。
昼休みが終わろうとする頃、私は校長先生に呼び出された。
怒られると思い、覚悟を決めて校長室に入っていったが、校長先生は機嫌が良かった。
「スマート先生、喜んでほしい。男爵夫人は我が校の音楽設備に多額の寄付を約束してくれたよ」
「それは・・・よかったですね」
「君のおかげだよ。先にダンスをさせて、演奏させる先生の教え方に共感したそうだ」
「恐縮です」
「おまけに、ボーダー氏も新聞社協賛の行事を増やしてくれるそうだ。とりあえず、芸術祭に予算を取ってくれることは決まった。今年は無理かとあきらめていたが」
校長先生は興奮気味だ。そして、付け足したように言った。
「それで、先生のチェロを少しの間、レノックスハウスに貸し出したよ」
「チェロ!」
驚きで、それ以上口をきけない。
「あぁ、男爵夫人が気に入ってね。弾いてみたいそうだ。ボストンから取り寄せる間、貸してほしいと・・・」
「あのチェロは、私のです。そんな無断で!」
私はやっと、口を利けた。怒りで長くは言えないが、怒っていることは校長先生には伝わったようだ。彼は私の剣幕に、身を引きながら、ボソボソ答えた。
「でも、君もそんなに怒れないだろう。授業の時、怪我をさせたんだし、変なことを言って侮辱したしたね。それに聞く所によると、先生は何回もボーダー氏に危害を加えたそうじゃないか。訴えられてもしかたがない状況なんですよ」
「・・・それは」
「スマート先生には貸しがあると、彼は言っていました。何もくれと言っている訳じゃない。少しの間じゃないか」
「・・・でも」
「なんだね。ボーダー氏は男爵夫人の願いはなんでも叶えてあげたいんだね。恋人へのプレゼントだ。すぐに最高級品を届けさせるよ。でも、愛しいひとか・・・人前で率直に言うもんだ」
校長先生はあきれたふうに言おうとしてるが、目は羨ましそう。あんな美人にみんなの前で「愛しい人」って呼ばれたいのだ男は!
「美人だからって、恋人だからって・・・」
私の大切なチェロを、素人の気まぐれに使うなんて!
その日、私は家に閉じこもって、ぼんやりしていた。チェロの練習ができないなら、他になにをすればいいの。こんな時、アレックスやスーキーがいれば、マティニーを飲んで憂さを晴らせたのに。
「ジェーン、ジェーン」
あら、スーキーの声が聞こえる。まただ。私は、ありもしないものが聞こえ、見えるんだ。だって、窓の外にアレックスまでみえるんだもの。
「ジェーン!開けな!」
えっ、本物?急いで、ドアを開けたら、二人がなだれ込んできた。
「ねえ、聞いて!」
三人はそれぞれ、叫んだ。だからうるさいだけで、ちっとも何がなんだかわからない。
「だめじゃない、一度に言っちゃ。順番によ」
アレックスがしきる。「うん、わかった」「そうするよ」
一旦は静かになるが「それでね・・・」とまた一斉に話し出す。
「だから、だめだって」とアレックスが怒鳴り・・・を何回か繰り返した後、やっと三人は互いの状況を知った。
スーキーが、なぜ帰ってきたかは、記者仲間の情報を手にいれたからだ。
「謎の人物、ミスター・ボーダーの真実の姿は・・・」
彼はシカゴのマフィアの3代目だった。だが、その性格はギャングに向かないと仲間内に思われていた。彼の19歳の誕生日に、2代目の父が急死した。
跡継ぎは当然彼だが、組織内の幹部たちは堅実な№2の地位の男を押していた。
彼は不満だった。自分でもやれる、なんとか良い所をみせなくてはとあせっていた。
そんな時、彼は一人の少女に恋をした。少女はバレリーナ。正しくは初心者だが、彼にはオデット姫に見える。
その少女が、彼に言った。「バレエ団に、大きなダイヤを飾ったティアラが来る」と。
一晩だけ、パリのバレエ団から預かるのだと。そのダイヤはマリー・アントワネットに所縁の値段もつかないものらしい。
彼は、その話に興味を持った。その夜の警備はいつもどおり、年老いた守衛がひとりだと言う。大人たちを見返すチャンスだ。
彼は組織内の若手を集めた。皆、十代の少年だが、大人に負けないと意気込んでいた。武器は一人の幹部が、用意してくれて励ましてくれた。
彼は白いスーツにトレンチコートを着こんで乗り込んだ。手引きは少女がしてくれた。
最初はうまくいくと思った。眼鏡をかけたバレエの先生は腰を抜かし動かない。守衛のおじさんはすぐに降参した。
彼は仲間と少女と凱歌を上げた。
だが、パトカーの音が近づいてくる。なんでわかったんだ。彼は不思議に思いながらも警官たちと、最後まで戦うつもりだった。なのに、武器はモデルガン。マシンガンも銃も重いだけだった。幹部は偽物をくれたのだ。あっという間に、皆、捕まった。
少女だけは刑事とにこやかに握手している。
なぜ、ハナコちゃん?彼は呆然とした。
事件そのものが罠だった。
少女は若くみえたが、22歳の看守だった。彼を誘惑し事件を起こさせ、組織を潰す計画だったのだ。マフィアの幹部たちは、警察の動きに気がついていた。彼らはそれを利用し、跡継ぎの彼を排除することにした。
検事は彼に取引を提案した。組織を解散したら、罪に問わないと。誰も起訴しないと。彼は始め頑強に断ったが、突然条件を飲んだ。
その後、マフィアは№2の男の下で再結成されたらしい。
「わっ、悲惨!」
アレックスが叫んだ。スーキーが、首を振る。
「まだ、意外な事があるのよ。その可愛い美人看守は、フェリシアだったの!」
「ウッソー!」私とアレックスはそれしか言葉が出ない。
「そしてフェリシアに話を持ちかけたのは、マフィアの取材をしていて、内部の情報に詳しくなりすぎた新聞記者だったクライド。マフィアの幹部に罠をかけられ、無実の罪でフェリシアがいる刑務所で服役していたのよ。その頃、彼はハンサムで長身でスマートだったらしい」
「ウッソー」またもや、私とアレックスはそれしか言葉が出ない。
だって、そうではないか。あのフェリシアが麻乃さんや紫さんみたいな美人で可憐で、クライドが天海さんみたいにかっこよかっただなんて・・・ありえない。
「フェリシアはその時、バレエにはまり、事件の後、本格的にレッスンして、名ダンサーになったらしい」
スーキーのつぶやきにも、反応できないほど私たちの脳は停止していた。
ただ私の口から自分でも思いかけない言葉が出た。
「・・・心が壊れたミスター・ボーダー、ブレイクザ・ボーダー・・・」
アレックスがこけ、スーキーがひっくりかえった。
スーキーが起き上がり、そのお下げの髪を振りながら言った。
「だからボーダーはフェリシア夫妻を恨んでいるはずよ。その彼が、新聞社を買ったということは、何か魂胆があるはずだと思わない」
続く