私とルナの仕事は、黙々と進められた。
私の指示で、ルナは書類を用意し、代筆し、計算する。昔馴染みなのに、ほとんど私的な会話はなかった。
私に余裕がなかったのだ。昼はまだいい。仕事で気がまぎれる。しかし夜はつらかった。私は一人で事務所に泊まっている。
ベッドに入ると、真っ暗な天井に、ダニーの最後のほほ笑みが浮かぶ。美しく哀しい。そして恐ろしいダニー・・・。
私は、なかなか寝られず、寝てもダニーが炎の中で苦しむ夢を見て、うなされた。はっとして、起きた時、ダニーの声が聞こえてくる・・・。
「レベッカ、レベッカ」と潮騒が騒ぐのだ、ダニーの声で。
私はダニーの名前を叫びたかった。だが、口は開いても声は出ない。こんなに悲しいのに涙が出ない。私は、耳をふさぐだけだった。
心は、日々重くなっていったが、体は徐々に治って行った。清書はできないが、自分で計算したり、下書きはできるようになった。それでルナは午後だけの出勤になった。
火事のお見舞い状の返信を出すのが、今回の特別な仕事最後だ。後はマキシムが署名すればよいだけにした宛名を書いたたくさんの封筒を小包にして、アメリカの保養地に送るのだ。
「それから、マキシム夫妻に為替も送らなければ」
「火事で、財産をかなりなくしたのでしょう。これから、あの二人は大変ね」
「そうでもないんだ」
私はルナに説明した。
もともと、ウィンター家は美術品の収集の趣味はなく、高価な宝石は貸金庫に預けてある。それに家具もほとんどが保険金でカバーできる見通しだ。
それよりも、古い屋敷の維持費や人件費が莫大だったので、当主夫妻の高級ホテルの滞在費のほうが安い位だ。あの夫妻は屋敷を再建する気がないから、却って経済的には楽になるだろうと。
驚くルナを横目に私は決心していた。
明日、これを発送したらここを出よう。もう、マンダレイに留まることはできない。
私は、あの潮騒から逃げたかった。
次の日の朝、ルナは遅れてきた。近くの農家に下宿していて、空いた時間に辺りを写生していたのは知っていたが・・・。
「ごめんなさい。謎の人物を追いかけていたの。この人たちよ、フランク知っている?」
スケッチブックに描かれていたのは、庭だ。この一月、手入れされていなかったが、やはり美しい庭・・・。隅に二人の婦人の後姿が描かれている。
「これは・・・」
「それが、描き始める前は誰もいないのに、気付くと遠くにいるのよ。ほらここにも」
スケッチブックをめくっていく。
海岸にも葡萄畑にも、街道の景色にも、ふたりはいた。
「気付いたら、描かずにいられなくなる・・でも描き終わったら、いつの間にか消えているの。この二人、遠くからでも魅力的でしょう。今日は、見かけてすぐ追いかけたのだけど・・・。あら、フランク泣いているの?」
私は叫んでいた。「ダニー、ダニー」と。涙はなかなか止まらなかった。
ルナの絵には幸せそうなダニーがいた。やっとレベッカに会えたダニーがいた。もう、喪服はきていない。
レベッカとダニー、後ろ姿でも私はわかる。マンダレイに、その魂はある。次へ