朝イチで公園ダッシュをしていると、

小学生の私が浮かんできた。



そして、急に気づいた。



昔からずっとこのパターンだ、と。


私は小学生の時、

好きになる男の子がコロコロ変わっていて、

そんな自分がすごく嫌だった。

一途な恋愛に憧れていたから。



少し話して、

「いいかも」とときめいて、

少し距離をおくと「何か違うな」となって、

また探す。



婚カツで迷路に入り込んでいたと

思っていたけれど、違った。

迷路はすでに小学生には始まっていた。



「ちょっと、ま、て、よ!」

と思わず心のキムタクが飛び出す。



この迷宮は恋愛だけで限った話ではない。

今現在の住む場所探しもだし、

これまでの仕事探しもだ。


「いいかも」とときめいて、

少し距離をおいて「何か違うな」パターン。




「いいかも」の誤作動なのか。

「何か違うな」が逃げなのか。




ふっと。

真剣に悩んでいるその小学生の女の子に

何をアドバイスしてあげたいかな?

と考えてみた。



ぽんっと心に浮かんできたのは、


「無理矢理好きになろうとしなくても

いいんじゃな~い」(何故かちょっとオネェ風)


その女の子は、

ぽかーんとしていて、


今の私は、

「確かに!」と目から鱗がとび出た。



私はいつも「好きになろう」と必死だった。

恋愛がしたくて。

昔も今も。




どうして本当の好きが解らないのか?

原因を知って解決したい。


本当にもううんざりなのだ。



キーワードは「人間関係」と出て、

ハテナ?だったけれど、

やっぱり解決策はそこにある気がする。




「いいかも」で飛び付かない。

でもすぐ飛び付いてしまう。

「いいかも」がないと不安だから、

停滞している気がして、

新しいなにかを探したくなる。



「いいかも」依存症???



「いいかも」の先に、

私は何を期待しているのだろう。



少しでも「マシな私」になることを。

人より劣ってる。人より遅れてる。

と囁く声がする。



「いいかも」がないと、

闇深くに沈んでいってしまいそうな

感覚なのだ。

イメージが、「塾」と重なる。



私はまだ、塾ありきでに生きていた世界に

囚われているのかもしれない。


目標があって、

塾に通っていた訳ではなく、

私の場合は先に塾があった。


塾は夢を叶える手段ではなくて、

「劣っている私を人並みに保つ」場所。


イメージのまま表現してみると、

結構エグい。

すごいしんどい世界にいたんだなぁ

と改めて思う。




ということは、

「いいかも」=

「劣っている私を人並みに保つ」場所

を無意識に探しているということ。




顕在意識では、

「これがいい」=

「私が私を好きになれる」場所

を求めているから、

「何か違うな」になるのは当たり前だ。




私にとって、

「いいかも」は世界と繋がる唯一の術の

ように感じているかも。


でも「いいかも」で繋がった世界で

私が心満たされることはなかった。

たくさんの人と出会っても、

寂しかった。不安だった。





「無理矢理好きになろうとしなくても

いいんじゃな~い」



本当、そうだね。



必死で良いところ探しをして、

良い子供を演じなくていいし、

受け入れてもらおうとしなくていい。


好きになれたらラッキー✨

ぐらいの軽いテンションで

出会うのがいい。

そっちのがずっと楽しそう。