もう、全捨てでいこう!と決めた。



手放そう!と

色々手放したつもりだったけれど、

今まで積み上げてきた価値観を手放すのは

やっぱりどこか怖かったのだろうな、

と思う。


自分の中に甘えがあって、

手放したつもりで

手放しきれていなかった。


だからきっと、

ずっとここから動けずにいたのだ。




初めて着物の断捨離をしようとして、

まったく私がいないことを知った。


母のお下がりか、

母が誰かの他人の目を気にしながら、

母が私のイメージで、

私に誂えた着物しかなかったからだ。


たくさんある着物から、

私が心から気に入って、

誂えた着物はたった一枚しかなく、

愕然とした。



なんだ。。。

私自身は何も持っていなくて、

「親から与えられたもの」を

「持っている」と勘違いしていただけだったのだ。




試しに、何の忖度なく、
ただ可愛い💕と選んでみた着物は、
母が嫌がりそうな、
そして日舞の先輩方が選ばなそうなものだった。



だったらもう、

今までの世界のすべて

全捨てでいい!!!



もう私は一度死んだ、でいい。

全部全部まっさらでいい。



「偽りの私」が死ぬことの

一体何が怖いのか。



気づいてしまったら、

もう今までのように

好きなフリはできない。

着物も、今までの価値観も。


次から次へと、

違う違う違うが浮かんでくる。



今まで必死でしてきた、

一生懸命に自分の欠片っぽいものを

必死に拾い上げてみる行為は、

正直時間の無駄だったのだ。


ボロボロの残骸と化していたのだから。




そして、手放さないままに、

どんなに頭で考えようと、

真実なんて見えない。



何度も何度も絶望したけれど、

結局、始めてみないと同じところを

まわるだけ。




素敵なモノを買ったり、

素敵な場所に行ったり、

ワクワクな体験をしたり、

頑張って自分に与えてみても、

刹那で消え失せる。


だって、

本当に求めているのはそれじゃない。

そんなことがしたいんじゃない。


この世界と深く関わり、

深く愛してみたいだけだ。


もう与えられたものじゃなくて、

私自身で創造したい。




刹那的なものなんて、

もう要らない。欲しくない。




何度観ている

「ボヘミアン・ラプソディー」

昨夜また衝動に駆られて観たけれど、、、

今まで私は何を観てたのかな?

と思うぐらい心に刺さった。



特に、死を見据えたからこそ出てきた

フレディの言葉に稲妻が走り、

心震えた。


I decide who I am.

I’m going to be what I was born to be, 

a performer, to give the people what they want.




私が何なのかを知りたい。

私の本当の感情が知りたい。

ただただ愛を知りたい。


本当の愛を知るまでは、

私も死ねない。






秋の月を見ながら、

そんなことを思った。