母親が自力で生活するのが困難になって、現在は一人暮らしですがデイサービスや訪問介護にお世話になってどうにか暮らしてる状態です。


小さい頃は母親が無条件に大好きでした。あの環境がおかしいと思ったのは中学卒業したあたりだと思います。母親との記憶で古くて一番覚えているのは小学4年の時、叔父の家に理由もわからず預けられていたのですが…突然の訪問で母と私の父が尋ねてきました。あまり会いにきてくれた記憶はないので珍しいことだったと思います。なんで来たのかはわからないけど、私はここで離れたら嫌だと強く思ったらしく、母親の足に夢中にしがみついて「離れたくない」と強く叫び続けました。母親は離れない私を足で蹴りました。それでも、私はしがみついて。一緒にずっといたいと思ったのだと思います。両親は諦めたのかどんな気持ちかわからないけど、姉と私を連れて行きました。そこからの記憶は曖昧ですが、そのまま母親の家に住むことになって、そこには知らない義理父がいたのですが。私は敵対心しか持ってなかったです。

元々人見知りなのもあって、学校生活が上手くできなくて、いじめはなかったけど勉強も運動も苦手な私には監獄のようなものだったのだと。叔父の家では自己主張して甘えられる環境なんてなかったからここぞとばかりに甘えモードで不登校になりました。母親と住むようになって何度も嘘をつかれ、それでも好きだから信じてついていって、それの繰り返し。母はパチンコと酒の依存症で毎日パチンコに行って夜まで帰ってこなくて、私はお腹が空いて夕方ぐらいになると母親を探しにパチンコ屋を何軒も探しに行くのが日課になってて。母の定番料理も母の味も知らないです。いつも、義理父が会社から貰ったのか、盗んできたのか、冷凍ピラフだけは冷蔵庫にあってそれを食べてた記憶がします。

母は5人子供を産んだらしいんですが、私が知ってるのは姉だけで、皆んな父親が違うらしいです。

母と私の父は近くに住んでて、母は義理父と実父の家を行ったり来たりしてました。その時期、母が性的な関係を両方の父と交わしてるのも感じてました。

いつもの日常の様に母が飲んで暴れる、姉が怒ってガラスを割る、流血騒ぎ、私はそれを見てどう思ってどう対処していたのかは覚えてないけど、とにかく家に閉じ篭もる生活が始まりました。友達はよく家に来てくれていたけれど、何故か私は逃げ回って会わないようにしてました。近所の人がよく呼んでいたので警察のお世話にもなりました。

私は悪で、義理父に全てのエネルギーと不満をぶつけていたと思います。義理父をエアガンで打ったり、ベルトで傷がつくまで叩いたり、馬鹿にしてました。私が大人になって義理父と再会した時、背中を見る機会があってアザだらけの姿を見て自分がしたのかと思うと目を背けました。何もいえませんでした。義理父は姉に酔うとイタズラをしてたし、よくわからない存在だけどあの人なりに家族を守ろうとしてくれた優しさがあったと今はわかります。いきなり、でかい娘が2人来て母親はネグレクトで散財して飲んで元旦那と過ごすとか…辛かったんじゃないかと。でも、仕事をしてくれてました。母が一瞬で無くしてしまうのに。

まだまだ、書きたいけど、まとまりがなくて。見苦しくなっちゃうので過去話はこの辺で。


最近の鬱の正体ですが。

憎んでた母が老いて認知症も軽度あるので付き添わなきゃいけないことがあること。姉と私にどっちもの愚痴を言ってること。気分の変化で感情的なヒステリックな声で接してくること。

久しぶりにあった姉に、「あんた達、2人(母と私)の気分の波に付き合うのは疲れる!」「あんた、昔の自分に戻りたくないの?」「病気に負けていいの?」

楽しかった気分も、一気にどん底に落ち泣いてしまいました。姉は病気でも、負けず嫌いで自分にも他人にも厳しいので、私を見て腹正しいのかもしれません。私からしてみれば、何十年も前から病気だし。昔の自分は、いつも自分を責めるばかりでいなくなれば、死にたいとか思うような人間で。今も全くないわけじゃないけど、自分を責め立てるという行為はなくなりつつあるから生きやすくなってるし。それを否定されたのが凄く悲しくて悔しくて、怖いと思う感情が芽生え。これが、毎日、毎日、フラッシュバックするから鬱々しく、逃げ出したい気持ちや投げやりな行動に繋がってしまってることです。


今日は、上手く伝えられてるかわからないけど、呼んでくれてありがとうございます。